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もうずいぶん前の事。
当時、私は31才。
ずっとやりたかった事に色々と新しくチャレンジを始めてみたものの、やっぱり子供の頃や十代の頃から始めている人には到底かなわない事も多く、「なんでもっと早く始めなかったんだろう…」「やっぱり始めたの遅すぎたよな…」なんてへこみ気味だったある日のこと。
たまたま乗っていたバスで、近くに座っていたおばあちゃまお二人の会話がふと、耳に入った。
「あら、○○さん、こんにちは!どちらにお出かけ?」
『今から水泳なのよ』
「あら、水泳やってらっしゃるの???」
『そうなのよ。70才から始めたから…。ああ、今年で水泳始めてちょうど10年だわ〜。』
この時点で相当びっくりした私。
え !?
70才から始めたの !? 『水泳』!? !? !?
しかも、もう10年ってことは… 今、80才 !? !? !?
驚いている私の耳にそのおばあちゃまの次の言葉が続けて入って来た。
『昨日ね、お誕生日だったの、私。80才の。
孫たちがお誕生日会開いてくれたのよ。
もう〜、何歳になってもお誕生日って本当に嬉しいわよね〜♪♪♪』
!
!!
!!!!!
えええーーーーーーーーーーーっっっっっっっっっ!!!!!
嬉しいの !? !? !?
お誕生日 !? !? !?
当時、色々な事を始めたものの、どうしても十代の頃のようには習得できない自分にいらだっていた私にとっては、年齢を重ねる事を実感せざるを得ない誕生日はむしろ来てほしくない、ちっとも嬉しくない日だったのに!!!
自分よりも倍以上、50年も長く生きているこのおばあちゃんはお誕生日が『嬉しい』なんて!!!
完敗。
完全に私の負け。
「もう年だから」とかそんな事全然思わずに、70才からでも新しい事にチャレンジできて、「毎年のお誕生日を『嬉しく』迎えられる人」だからこそ10年のキャリアを積む事が出来るのか。
このおばあちゃんよりも50才若くても、そんな私が「もう30才だし」とか「始めるのが遅かった」とか言ってあきらめてしまったら10年どころか5年のキャリアも積めないんだな…。
『毎年の誕生日を嬉しく迎えられる様な生き方をする。』
その日から私の人生のテーマが決まりました。
おかげでやりたい事に迷わず突き進めるようになりました。
いや、迷うか(笑)
迷いながらも前に進む勇気をもらった、というのが正解かな。
すごく大きな出会い。
あの日の出会いに感謝。
もう、言わずと知れた宮崎駿監督の代表作のひとつ。
私が初めてこの映画を観たのはテレビでだったのか、レンタル屋さんで借りたのか、もうすっかり忘れてしまったのだけど、部屋で一人きりで観た事だけははっきり覚えています。
なぜなら、ものすごい号泣しながら観たので^^;
さて、ここで質問です。
皆さん、『となりのトトロ』を観た時に泣きました???
もし泣いた人はどの場面???
トトロを観てから数年後。
たまたま友達とトトロの話になり、どの場面で泣いたかという話になったのですが。
見事に友達と泣いた場面が違ってビックリ!
トトロに出逢ったメイが、その事をお父さんとサツキに話して二人をそこまで案内したものの結局トトロに逢えなかった時、
「嘘じゃないもん!本当に逢ったんだもん!」というメイに、お父さんが優しく
「メイは嘘をついてるなんて思ってないよ」
って言うシーン。
あのお父さんの優しい台詞を聞いた瞬間、私の堤防が決壊しました。
お父さん、ありがとう!!メイちゃんを信じてあげてくれてありがとう!!!って、しばらく涙がとまらなかったなぁ〜
でもね
でも、友達は違うんですよ。
泣いた場所。
友達が泣いたのは病院にお母さんのお見舞いに行けなくなった時、サツキだってそれを我慢しているのにもかかわらずメイがだだをこねるので、たまらず「メイの馬鹿!」って言うシーン。(でしたっけ?記憶が曖昧… ^^;)
私が泣いた場面に関しては「そこは泣く場面じゃない」とあっさり否定。
えええーーーーーーーーーーっっっ!!!(驚いてばっかだな、私)
すごくビックリしましたよ。その違いに。
皆さん、どうでした???
その二つのどちらかでした???
それとも違う場面???
もしくは全然泣いてない???
(別の友達には「あれは泣く映画じゃない」って言われました^^; )
ちなみにその後よくよく話をしてみたらその友達は二人姉妹の姉。
私は3人兄弟の末っ子。
そう、そういう事なんです。
私はメイの、友達はサツキの立場になって映画を観てたんですね。
私にとって「となりのトトロ」は『メイの物語』、友達にとっては『サツキの物語』。
自分の育って来た環境でこんなにも感情移入の仕方が違うなんて…。
大発見でした。
きっとどんな映画でも、いや、映画じゃなくて、きっと現実の世界でも、こうやって人によって感情移入をする場所が違うんだろうな。
目の前で起っている出来事は同じでも、誰かの視点を通した瞬間にそれぞれ全く別の出来事になる。
何となく薄々感じてはいたものの、それをものすごく実感させられた出来事だったのでした。
小学生時代、当時、世の中では超能力などのSF系のお話が流行っていて、私も大好きでした。
そして、すぐにその気になりやすい私はよく友達を巻き込んでテレパシー実験なるものをしていました。
やり方はいたってシンプル。
いくつかの記号を決めて、隣の教室にいる友達と今どの記号を選んだかを当てっこする、というもの。
私はかなり張り切って実験に挑んでいたのですが、まぁ、当然そんなに簡単にはいかないわけで。
友達に向かって
「真剣に当てようと思ってる?テレパシー、信じてる???」
詰め寄る私。
かなり迷惑です(笑)
そんなこんなで友達を巻き込んだ実験は諦めて、家で1人で超能力実験を始めました。
多分小学校3〜4年生くらいだったと思います。
自宅の自分の勉強机に向かって、消しゴムを前に『念力』を送る私。
「動け〜っ、消しゴム動け〜〜〜っっ!!!」
…本人としてはかなり真剣(笑)
滅多に勉強しないから普段はほとんど机に向かわない私でしたが、この時ばかりは相当長いこと集中して消しゴムに立ち向かって(?)いました。
本当にものすごーーーーく集中して集中して、集中力もMAXになり、あまりの集中力に、あと一歩で本当に消しゴムが動いてしまうんじゃないかと思われたその時、
私の心の中で呟く声が…
「本当に動いちゃったらどうする?」
!!!
え???
その瞬間、私の中で
「もし本当に動いちゃったら、多分今まで通りには生活できなくなるよな。」
「きっと周りは大騒ぎになるし、そうしたら今まで通りの生活は出来なくなるかもしれない。」←相当本気です(笑)
「色々な事が一気に変わってしまうかも!」
という恐怖感が湧き上がり、急激に集中力がダウン。
もちろん消しゴムは動かず。
そのあと、再び何度かトライしましたが、もう2度とその時のような集中力は出て来ませんでした。
あんなに『動いて欲しい』と願っていたのに、最後の最後で『本当に動いちゃったらどうしよう?』という恐怖心が自分の中から出て来た事に愕然としながら、この時、子供ながらに思った事があります。
私達が超能力を使えないのは「使えない」んじゃなくて「使わない」んじゃないか。
もし「周りの環境が変わってしまうという恐怖心」を乗り越えられたら、もしかしたら誰もが皆、超能力を使えるんじゃないのか。
拙い小学生の頭で考えた事ですが、実は今でも、これって真理なんじゃ無いかと思ってるんです。
よく潜在能力なんて話をしますよね。
私達は脳の本当の力の3パーセントしか使ってないとか。
もし本当に、いろんな恐怖心を取り除いて、自分自身の力を本気で信用して、そしてそれを受け入れる『覚悟』さえする事が出来たなら、もしかしてみんな最大限にその能力を発揮する事ができるんじゃ無いだろうか???
ま、その『覚悟』がね、なかなか難しいのですが ^^;
せっかくなら、眠っている能力、少しでも発揮できたらいいな。
改めて思う2017年の初春なのでした。
今日はとってもいいお天気です。
ここしばらくものすごーく寒い代わりにものすごーく空が綺麗で昼も夜もついつい空を見上げて見とれてしまいます。
そんな時になぜが思い出した数ヶ月前の雨上がりの日のお話。
大雨が降った翌朝でした。
道にミミズが。
前日の雨で土の中から逃げ出したもののアスファルトの上であっちかこっちかと行き先に悩んでる様子。
私の視点から見たら彼(?)の左斜め後方30センチのところに街路樹の植わっている土があるのだけど、彼の視点(?)ではわからないのか、そちらに向かって行く様子はない。
ミミズの生態には詳しくないからそもそも彼らがどうやって土の方向を感知しているのかは全くわからないのだけど。
「そっちじゃないよ、反対だよ。」
思わず教えてあげたくなる。
そんなミミズを見ながら、あー、もしかしたら私たち人間も空から見たらこんな感じなのかな〜なんて考えていました。
どこかに「いいところ」が、「答え」があるんじゃないかと必死に探して旅に出て。
実は自分のすぐ近くに幸せがあったりして。
そんな童話がありましたね。「青い鳥」?
まぁ、でも旅して帰ってくるからこそ、その幸せにも気づけるわけで。
だからその遠回りは決して無駄ではないのだけれど。
無駄ではないどころか「近くの幸せ」に気づくためにはむしろ必要な経験だったりもして。
でも、もし空からこうやって自分を見てたらヤキモキするんだろうな〜
それとも「たくさん遠回りして冒険しなさい」って暖かく見守っていられるのかしら???
ミミズ君はあまり遠回りしないほうがよさそうだけど。
あ、でも土が乾かないと戻れないのかな〜
無事に土へたどり着いてますように。
『人はいつか、いや、命あるものは皆、いつか必ずその命を終える時を迎える。』
この、あまりにも「あたりまえ」すぎて、その「あたりまえさ」ゆえに忘れていた事実を知識としての理解ではなく、実感として身を以て教えてくれたのは19年前の父の死でした。
そして、『その別れの時は何の前触れも無くある日突然やってくる事もある。』
それを私に教えてくれたのは2001年の9.11、アメリカの同時多発テロ事件でした。
私のこの世での時間は永遠ではないらしい。
大好きなあの人やこの人と過ごす時間も永遠ではないらしい。
その後も様々な震災や事件、病気などで沢山の方々の命が折に触れ私にその事実を繰り返し教えてくれます。
「明日、死んでもいいように。明日、逢えなくなってもいいように。」
このメッセージは私にものすごくたくさんの勇気をくれました。
前に進みたい。でも、怖い。失敗したらどうしよう。
恥をかくかも?馬鹿にされるかも?嫌われる???
色々と考えてしまってなかなか前に進む事が出来ず、また、そんな自分が嫌で、一人悶々としていた私が、今、いろんな事にどんどんチャレンジできるようになったのは、父と、この沢山の方々の命が教えてくれた事実のおかげです。
「今を最大限に生ききる。」
おかげでこの16年間の間でものすごくたくさんの事にチャレンジすることが出来ました。
そして、そのチャレンジの結果、私の世界は大きく広がり、ものすごくたくさんの素敵な出逢いがありました。
今、私の周りには大好きな人達が沢山います。近くにも、遠くにも。
今夜のフライトでハワイ島へ行ってきます。
A-yo♪'s Favoriteのページでもご紹介しているコナの語学学校の先生やホームステイでお世話になったホストファミリーに一年ぶりに再び逢いに行ってきます。
「明日死んでもいいように。明日、逢えなくなってもいいように」
ちょうど一年前、この思いを勇気にかえて「一人でハワイ島へ行ってみる!」という自分にとってはとてつもなく大きなチャレンジをしました。
ずーっと行きたかったハワイ島。
初の一人海外。初の乗り継ぎ。
まさにお一人様ミッションの集大成。
そして、あの日の勇気がなければ絶対に出逢えなかったであろう、海の向こうに住む愛にあふれた大好きな人達。
沢山の出逢いと
私に大きな勇気をくれた父と沢山の方の命に感謝をこめて。
ずっと以前、まだボイストレーナーとして仕事を始めて2年目くらいの頃だったと思います。
私のところへものすごいハスキーボイスの女性が生徒さんとしていらっしゃいました。
彼女は思うように自分の声をコントロールできていなくて、歌を歌うとどうしても音程が暴れてしまうのが悩み。
でもむちゃくちゃかっこいい声!!!
きちんとボイストレーニングを積んでコントロール力を身につければ強力な個性として光る事は確実!!!
昔からハスキーボイスに憧れて、学生時代に何度もわざと声を枯らしたりしていた私から見たらすごくうらやましい!
(あ、私がわざと声を枯らしてたのはまだきちんとボイストレーニングを習い始める前の話ですよ。良い子は真似しないように^^;)
でも彼女、そんな自分の声が大嫌いなんですね。
小さい頃からその声のせいでいじめられたと。
えー!私はその声欲しくてたまらないのに!?
彼女の口から出た言葉。
「女の子らしい高くて透き通った声になりたいんです」
***********
そんな折、今度は高くて透き通った声の女性が。
すごいきれいな声!今井美樹さんの曲を歌った彼女の声に思わずうっとり。
でもね、言うんですよ。
「私、自分の声が嫌いなんです。もっと太くてかっこいい声でロックを歌いたい」
うーん、世の中、なかなかうまく行かないもんだな。
***********
それから数ヶ月後。
別の生徒さんから相談を受けました。
彼女はちょっとぽっちゃりさん。
当時つとめていたスクールのカリキュラムにグループレッスンで二人一組になってするワークがあったのですがそれが嫌でたまらないと。
「私、太ってるから、絶対に相手の人、いやがってる筈なんです。」
「昔からそれが原因でいじめられてたんです」
***********
ちょうど次の日。
今度いらしたのはモデルさんのようなスレンダーな体型の生徒さん。
足がスラッと長くてパンツスタイルが決まっている。
思わず、「かっこいいね!モデルさんみたい!」
うらやましくて言ってしまった。
次の瞬間、彼女の表情が変わった。
「それ、どういう意味ですか?」
「え?いや、スタイルいいなって思って…」
「何なんですか?私、その言葉、すごい傷つくんです!私、好きで痩せてるんじゃないんです!子供の頃から心臓悪くて太りたくても太れないんです!!!それなのにみんなスタイルいいとかうらやましいとかって!!!人の気も知らないで!!!」
ものすごい剣幕だった…。
びっくりした。
もちろん彼女を傷つけるつもりではなかったので傷つけてしまった事に対してきちんと謝った。
***********
その夜、ずーっと考えていた。
みんな入れ替われたら幸せなのにな…。
ハスキーボイスの彼女と透明な声の彼女。
ぽっちゃりさんとスレンダーさん。
あ、せっかくなら私もハスキーボイスに生まれてたら…
そしたらみんな、願いが叶うのに…。
…
あれ?
でも待てよ???
もし、彼女達が本当に入れ替われたとして、それぞれの人生を生まれた時からたどって来たら…。
あれ?
もしハスキーボイスの彼女が元々高く透明感のある声で生まれてたら???
もし、スレンダーな彼女が元々ぽっちゃり体型で生まれてたら???
そして、まるっきり同じ人生を歩んで来たら???
もし、私が最初からハスキーボイスの彼女の人生を歩んで来たら???
そしたら、人生に満足するんだろうか???
ん?????
もしかしてまるっきり同じ事を言うんじゃないだろうか???
「この声嫌いなんです」
「好きでこの体型なんじゃないんです」って。
あれ?????
あれれれれ?????
(次回に続く)
ずいぶんと間が空いてしまったのだけど…^^;
前回の続きです。(先に読んでね→人生の秘密?)
まだボイストレーナーになって2年目くらいの頃の出来事。(相当前の話ですね^^;)
色んな生徒さんの悩み事を聞くうちに、ある日考えてしまった。
「お互いをうらやましく感じる人同士、それぞれの人生、もし入れ替わることができたなら、みんなシアワセになれるのに。」
でも、一瞬はそう思ったけど、もし本当に入れ替わって最初からその人生をたどって生きて来たら、やっぱり結局また同じように、
『この体型が嫌だ』『自分の声は嫌い』
って思うのかもしれない。
それじゃあ、どうしたらみんなシアワセになれるんだろう???
なんか、ここに大きな『秘密』が、答えがある気がする…。
考えているうちにひとつの仮説にたどり着いた。
ひょっとして、実はどういう体型か、どういう声か、とか、どんな性格かということが問題なのではなく、
『とにかく自分自身が最初から元々持っているものは嫌い、好きじゃない』
っていう法則があるんじゃないのかしら???この世の中。
悩んでいた生徒さんはみんな、元々が痩せてようがぽっちゃりだろうが、声がハスキーだろうが透明感があろうが、とにかく自分のそういうところが嫌いで、自分と正反対の人に憧れる。私もそうだった。
そしてうらやましがられる側の人もやっぱり自分の特徴が嫌い。正反対の人に憧れる。
特徴の内容がどんな事であれ、みんな元々持ってる自分自身の特徴が嫌いなのかも?
同じ特徴が本人から見たらマイナスに見えて、他人から見たらプラスに見える。
何?この法則!!!
ってことは、もしかして自分の特徴をプラスとしてとらえたらめちゃくちゃ輝けるんじゃないの???
そういう目で周りを見回してみたら、やっぱり輝いている人は自分の特徴を良く知って活かしているし、他人の事をうらやましがったりしていない!
すごい!!!!!
ものすごい『秘密』を見つけた気分だった。
自分がコンプレックスに思っているところは実は一番の魅力になり得るってこと!?
『よし!私もちゃんと自分自身のコンプレックスと向き合ってみよう!』
『誰かみたい』になろうとするのではなく、ちゃんと『自分自身』になる!!!
…っていってもねぇ〜、むちゃくちゃ勇気がいりました、色々^^;
勇気というか覚悟というか。
なんて言ったって自分が『短所』だと思ってるところを受け入れるんですから。
ま、その辺の話はまたおいおい^^;
でも、必死で『誰か』みたいになろうとしていたあの頃よりも今の方がとても幸せです。
今から十数年前、
前回の記事で書いた出来事をきっかけに、それまで『誰かみたいになる』を目指していた私は『他の誰でもない自分自身になる』という生き方を選択することにしました。
でもね、そうは言っても色々沢山コンプレックスをかかえているわけですよ、これが。
もうてんこ盛り。ため息が出ちゃう。
でも『自分自身になる』為にそんなコンプレックスのひとつひとつと向き合って行く事にしました。
当時持っていたコンプレックスの中のひとつに『自分の度量の狭さ』がありました。
ダメなんです。我慢がきかないの。超ワガママ。
でもね、世の中にはいらっしゃるじゃないですか、自分の身を投げうってでも人の為に動いてあげられる人。
そういうタイプの人をものすごく尊敬してましたし、ものすごく憧れていました。
自分もそんな風に人の為に動いてあげられたら…。
そういう人になりたいっ!!!って。
でも、どうやっても無理なんです。
何か人の為にやってあげたとしても『私はこれだけやってあげた!我慢した!』ってすぐに思っちゃう。
なんて言うのかしら、無償の愛?そういう感覚がまるでない。
人間が小さいんです。
そして、当時の私はそんな自分の事を、すごく『ダメだな〜、私』って責めていたんですよね。
『ワガママ、度量が狭い、冷たい人間』って。
そしてそんな自分が嫌いでした。
でも、『他の誰でもない自分自身になるキャンペーン』を始めてしまったので、そんな自分を受け入れてあげなきゃいけなくなったんですよね。
『心の広い誰か』を目指すのではなく
『心が狭い自分自身を受け入れる』。
えーーーーーーーー、嫌だ。
受け入れたくない。
嫌だ、そんな人。
もっとちゃんと心の広い立派な人になりたいのに…。
でもなれないし…。
自分自身になるって決めたし…。
えーーーーーー。でも嫌だなあ、そんな度量の小さいヤツ。(-_-;)
まぁ、相〜当長い事ジタバタしました(笑)
でもね、どうにもならないので、結局最後にはあきらめました。
自分は度量が小さいんだから仕方ない!
小さいなりの接し方をしていこう!って。
そこで考えたのが『はんぶんこ』ポリシー
例えばもし、震災とかそういう場面で食べ物があまりないような場面で誰か大切な人と二人でいたとします。
そして目の前にはパンが1つだけ。
ここで私の『理想』としては、『自分は食べずに相手にすべてあげる』なんですね。
でもね、自分自身がもしそうやって『自分は食べずに相手にパンを全部あげた』場合の事を想像すると、きっと、私はずーっとその相手に対して恩をきせたくなるんですよね。
『私は我慢してパン全部あげたのに』って^^;
『私だって我慢したんだからあなただって少しは我慢しなさいよね!』って絶対思いそうなんですよ、自分が。
相手に対して色々許せなくなっちゃうんですよね。きっと。
そのうち、相手が何か自分と違う意見でも言い出そうもんなら『あのときパン全部あげたのにそんなこというなんて!ひどい!』とか無駄に相手を責めてしまいそう。そして大好きだった相手の事嫌いになっちゃったりして。
………。
嫌だーっっ、そんなの!!!!!
でも残念だけど。それが私。
それが私のキャパシティなんですよね。
本当は「私はいいの、あなたが食べなさい」って言ってみたい!そういう人にめちゃくちゃ憧れる!!!
でも、どんなに考えても無理なんです。そこまで器が大きくないの。
なのでね、もうあきらめました。
キャパが小さいなら小さいなりに。
『はんぶんこ』にする事にしたんです。
『私もあなたもお腹空いてるから二人で「はんぶんこ」ね!』って。
二人ともちょっと満足、二人ともちょっとお腹空いてる。
二人でちょっとシアワセで、二人で一緒にちょっと我慢して頑張ろうね、って。
これなら相手に対して恩をきせなくて済むし、無駄に相手の事を責めたりしないで済むし相手の事もちゃんと好きでいられる。
『はんぶんこ』
『理想の人』とはだいぶ違っちゃったけど、これがまぎれもない『私』。
いやぁ、前回のブログからだいぶ間が空いてしまいました、
皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか???
この期間の間にも沢山の皆様が訪ねて来てくださっていたようで本当に嬉しいです。
そして、そんな皆様のお陰で、なんと!このホームページがめでたく『秋葉和代』検索でトップページに表示されるようになりました!!!
わーい!!!パチパチパチ
よかったぁ〜
最初の頃は『秋葉和代』や『秋葉和代 ゴスペル』だけだとなかなかトップページには表示されず、『秋葉和代 あーよ』で検索してもらって初めてトップページへ表示されるという状態だったのでこのホームページを探し出していただく皆様にご苦労をおかけしていたのですが、これで見つけていただきやすくなりました!
(ちなみに『a-yo』検索だと7ページ目!こっちは世界相手なのでなかなか^^;)
本当に皆様の日々のアクセスのおかげです!ありがとうございます!!!
さてさて、ではそんな10日あまりの間、私が何をやっていたのかといいますと!!!
ジャーン!!!
落ち込んでいました(笑)
いやいや、正確には10日間毎日落ち込んでいた訳じゃあないですよ。
むしろ最初の一週間ぐらいはすこぶる元気だったんですけどね。
なんかね、さあてブログ書こうかな〜っていうタイミングでちょうど落ち込んでいるって言う事がたまたま続きまして^^:
いやぁ、まいりました。
あ、今はすっかり元気なのでご心配なく!
ところで皆さん、落ち込んだ時ってどうしてます?
運動で発散?おいしいもの食べる?気分転換にショッピング???
色んな解消方法がありますよね。
私も色々。お気に入りのアーティストの音楽聴いたりゆっくりお風呂に入ったり。
でも、そんな中でも特に私に一番有効なのが
『紙にすべて書き出す』
なんです。
もうね、ぜーーーーーんぶ書いちゃうの。思ってる事全部。
いじいじしてたり拗ねてたり怒ってたり、そんな自分の感情、ぜーーーーーーーんぶ余すところなく紙に書き出しちゃうんです。
それこそずいぶん前に(十数年前?)オリジナル曲の歌詞を考えてる時に、なかなか思うように歌詞が浮かばなくてイライラした挙げ句、やけくそになって書き出したのが始まりなんですけど、これが私にはとっても有効で。
誰に見せる訳でもないから本当に余すところなく自分をさらけ出す事が出来るんですね。
それで、面白い事に、一通り感情を出し切るとそのうちちゃーんと文章が冷静になってくる。
勝手にね、冷静に自分に突っ込み入れ始めるんですよ、自分で。
そして、もう充分に感情を爆発させちゃってるから自分のその冷静な突っ込みもとっても素直に聞けるんですよね。
そうすると意外な事実が見えて来たりするんです。
なんでそんなに怒ってたのかと思ったらただ寂しいだけだったのか!とか、なんでそんなに悲しくなってるのかと思ったら、それだけ相手の事大好きだったんだ!とか。他にも色々…。
自分でも笑っちゃう。
なんだ、子供か!?みたいな感じ(笑)
これを何度も繰り返すうちに自分のパターンみたいなものも見えて来たりして。
次第に感情に振り回される事が減ってきました。
いや、もちろん感情は出てきますよ、人間ですから。
でも、その感情の根底にある自分の本音に気がつきやすくなったので、人に対しても以前に比べて素直に本心で接する事が出来るようになった気がします。
そして、こうやって書き出す事で自分が何が好きで何をしたいのか、など自分自身の事がよくわかるようになり、様々な人生の選択の場面で迷う事が少なくなりました。
前回の記事で書いた『はんぶんこ』もこんなことしながらたどり着いた気がします。
なので、実は私にとって、深く落ち込んだ時って本当の自分自身を改めて発見して、その先へ進む大きなチャンスだったりもするのです。
今でも、どうにも落ち込んで気持ちのやり場がなくなったりすると、この『書き出す』作業を良くやります。
今回もだいぶ書いたな〜(笑)
おかげでパワーアップ!!!(してると思う…。たぶん…。^^:)
以前、このブログにも書いたのですが。
私の信条が『明日死んでもいいように、明日逢えなくなってもいいように』だったんですね。2001年以来。
(良かったら先に読んでね→『チャレンジの原動力』)
迷ったり、先へ進む事を躊躇したり。
その度に、この『明日死んでもいいように、明日逢えなくなってもいいように』って考えたらどうする???って自分に問いかける事で自ずと自分の進む方向が明確になって今日まで進んで来れた気がします。
いわば私にとって人生のナビゲーターみたいなもの。
このナビゲーターに勇気をもらって、今までものすごーーーーーく沢山の自分なりのチャレンジをしてくる事が出来ました。
今の私があるのはこの信条のおかげです。
でね、このたび、ここに新たな信条が加わりました。
『100才まで生きてもいいように』
いや、ふと考えたんですよ。もし100才まで生きたらどうなるんだろう???
『いつ死んでもいいように』ってばっかり考えてたけど、反対にもし100才まで生きたらどうしたいんだろう?私???
どちらにしても『悔いのないように生きる』と言う事に変わりはないのですが、ちょっと今までにはなかった視点が加わりました。
今まで過ごして来た年数だけでも、相当色んな事があったのに、この先100才までの間にいったいどれだけの出来事が待ち受けているんだろう???
なんかね、そう考えたら、急に、『もっと自分の事を大事にしてあげよう』って思いました。
いや、もちろん今までも自分の事、大事にして来なかった訳じゃないんですけど。
むしろ『いつ死んでもいいように』って思うようになってから、それ以前と比べて、すごーく自分の気持ちと向き合うようになって、自分の気持ちをひとつずつ、ちゃんと大事にしてきたのですが。
でも『100才まで生きてもいいように』っていう新たな視点が加わったことで、今までは聞いてあげてなかった自分の声をもうひとつ聞いてあげられるようになったというか。
まだ聞いてあげられてなかった自分の声があった事に気づいた、というか…。
うまく言えないのですが、肩の力がフッと抜けた感じ。
『あー、なんか突っ走って来たな…』って思ったんですよね。
とはいえ、『いつ死んでもいいように』生きる事には変わりないので、これからも色々チャレンジをしていくとは思うのですが…^^
ちょっと向き合い方が変わりそうな予感…。
さて…。
『明日死んでもいいように』
から
『明日死んでもいいように、そして100才まで生きてもいいように』
にシフトチェンジして一週間…。
おもしろーーーーーーーいっっ!!!
いやぁ、毎日楽しいです^^。
チャレンジ好きの私としては、相変わらず色んな事にチャレンジしているのですが、これがめちゃくちゃ面白い!!!
なんだろう???
2001年に『明日死んでもいいように』と言う視点が出来て以来、急激に視野が広がって、そしてものすごく大きなエンジンを手に入れた感覚でした。(詳しくはこちら→『チャレンジの原動力』)
おかげで今まで行った事がなかったところへ沢山行けて、見たことがなかった景色を沢山見る事が出来て、それがすごく楽しくて、それがまた次のガソリンになってもいました。
ただ、エンジンが大きい分、めちゃくちゃ楽しいけどめちゃくちゃパワーも必要とするチャレンジだったんですよね。
だから、達成感とか最高に楽しい!シアワセ!な感覚も存分にある分、そこへ踏み出す時の勇気やエネルギーも半端なくて。
そして、エンジンが止まらないようにずっとアイドリングしっぱなし。
停車中も休憩中も常にエンジンは動いてる。
でも。
100才まで生きてもいいのか。って思ったら、なんか、たまにはエンジン止めて車降りてみよっかな…って思えた感じです。
でもって、車降りて散歩してみたら、道ばたにちっちゃい花が咲いてるのを発見してどの角度から写真を撮ったらおもしろいかな〜ってチャレンジしてみたり、えさを運ぶアリを見つけてずーっと後つけて一緒に巣まで行ってみたり、面白いカタチの石を見つけてちょっと絵を描いて遊んでみたり。
車じゃなくて徒歩だからこそ行けるところ、見られる景色も沢山あった事に気がついた。
なんかそんな感じです。(あ、あくまでも例えですよ^^)
もちろん今までものんびり休憩したり日々を楽しんだりはしていたんだけど、きっと常に車で出かけてたんだろうなぁ〜。
徒歩で出かけてみたら今までにはない視点が急にぱぁ〜っと開けた感じです。
面白い。
こんな所にもまだ見た事のない景色があった♪
今までと全く違う世界がまた一つ開けた感じ。
ただいま『お散歩』、満喫中です^^
以前にこのブログにも書いた『はんぶんこ』ポリシー(先に読んでね→『はんぶんこ』)
ちなみにこの『はんぶんこ』。
もちろん私も相手もお腹すいてたら『はんぶんこ』なんだけど、もし私がお腹いっぱいであんぱん食べたくなくて、相手がものすごいお腹空いてたら半分もらわずにお腹が空いてる相手に全部あげます。
そしてもし、私がものすごくお腹がすいていて相手が全然空いてなかったらちゃんとあんぱん全部もらう(←意外と難しかったのがこっち。この件に関してはまた後日)
なんでもモノをはんぶんこするのではなく自分の「食べたい。食べたくない」と言う気持ちと相手の「食べたい。食べたくない」という気持ちをちゃんと両方出し合って『はんぶんこ』するのがここでいう『はんぶんこ』。
つまり「我慢しないで」「頑張りすぎないで」「カッコつけないで」自分の正直な気持ちをちゃんと受け入れるって言うことにしたんです。
それで、これって「私はいいからあなたが全部食べなさい」っていう度量の大きい人にすごく憧れていて、それでもなかなかそういう心持ちになれない私が、自分の『度量の小ささコンプレックス』との向き合いの末に「あー、私は『はんぶんこ』の人なんだな」って自分を大きく見せる事をあきらめたら楽になったと言うだけの話です。
あくまでも私個人のコンプレックス解消話です。一般論でも正解論でもありませんよ、念のため^^。
でね、この『はんぶんこ』、私にとって、ものすごーく意外な効力を発揮したのですよ!
色々な場面で様々な人と交流をしていく中で、時々ムショーに腹が立つ時ってあるんですよね。
で、そういうときって「あれ?なんでこんなに腹が立ってるんだろう?私?」って思って、自分の心の中を見つめるために気持ちを全部書き出す作業をするんですね、私。
そしてその時に、この『はんぶんこ』ができてたかな?っていう観点で自分の行動を見直してみる事で自分が腹がたっている原因に気づきやすくなったんです。
つまり大抵自分が『頑張りすぎちゃってる』『我慢しちゃってる』『カッコつけている』ことが多い(全部じゃないけどね)。
本当は相手の事好きなのに、っていうか好きすぎて頑張りすぎちゃったり、嫌われたくなくて我慢しちゃったり、いいとこみせたくてカッコつけちゃったり。(あ、別に恋愛だけじゃなくて友達でも仕事でも)
ちゃんと『はんぶんこ』してないから『わたしはあんぱんあげたのに!!!』って腹が立つ訳です。
だから、頑張り過ぎてるのをやめて、我慢しないで、カッコつけずにきちんと自分の正直な感覚でちゃんと『はんぶんこ』にして相手と付き合うようにしてみると、あら不思議、あんなに腹立ってたのがなんだったんだろう???ってなったりして。(あ、もちろん全部じゃないです)
そうすると、純粋に相手の事好きだなぁ〜っていう気持ちに戻れる。(っていうか気づける)
自分の意外な一面に結構ビックリ。
これ、すごく面白いです。
おかげで自分の本音にも気づきやすくなって、以前よりも人と付き合うのがかなり楽になったし、大好きだなぁ〜と思える人が周りに沢山いる事にも気がつきました。
『はんぶんこ』
わたしにとってはとっても大事な感覚。
先日、20才ほど年下の人と一緒に仕事をする機会がありました。
彼女の年齢を聞いて思わず考えた事。
「20年前か〜。何してたかな、私。」
その頃、既に音楽の仕事を始めていたけど、まだまだ未熟だったし何より自分自身が「自分探し」の真っ最中でした。
あの頃、20年後に今みたいな自分になっているなんて想像もつかなかった。
プライベートや仕事の状況も、そして自分自身の生き方も。
当時の想像の遥か外側にいます。
「じゃあ10年前だったら???」
もちろん20年前よりは状況は今に近づいているけれど、やっぱり今の自分は想像できなかったな…。
そう、想像の遥か外側。
きっとみんなそうだろうけど、これまでの人生で本当に色んな事がありました。楽しい事も嬉しい事も、悲しい事も大変な事も。
そして、その出来事のすべてが今日の私につながっている。
改めて振り返ってみると、20年前からと言わず、生まれてから今日までのすべての出来事が今日の私になる為につながっている。
ありがたい事に、今、私の周りには大好きな人が沢山います。
すごくシアワセ^^
昔の自分が今日の自分を全く想像できなかったように、きっと、今どんなに先の事を想像しても、私の想像を遥かに超えたところへたどりついていくんだろうな…。
だったら、将来が思い通りになるかどうかの心配なんてしてる暇があったら『今、この瞬間』をちゃんと大事にする事に集中して、そしてあとは自然の流れに身を任せてみようかな。
そんな事を感じた『春』なのでした^^
数ヶ月前の事
ある人からランチのお誘いのメールをいただきました。
『たまたま近くを通ったから、良かったら一緒にお昼でもどうかと思って』
でも、あいにくその日は既に別の予定が入ってしまっていたため残念ながらお断りのメールを書く事に。
『お誘いありがとうございます!でも、今日は別の予定が入っちゃってるんです、せっかく誘っていただいたのにごめんなさい!』
文章を書き終えて送信しようとした時に、ふと、違和感が。
「あれ?なんで謝ってるんだ?私?」
いや、確かにせっかく誘ってもらったのに行けないからゴメンナサイではあるんだけど、私が今相手に伝えたい気持ちって本当に『謝罪』なのかな???
あれれ?私は今どんな気持ち???相手に何を伝えたいんだろう???
…。…。…。
しばらく考えて出て来たのは
1、誘ってもらって嬉しい!
2、でも行けなくて残念!
3、また誘って欲しい!
あれ???
だったら謝るよりも、↑この気持ちをそのまま伝えた方がいいんじゃないの???
試しに文章を書いてみた。
『わーい!お誘いありがとうございます!
でも今日は既に他の予定が入っちゃってるんです〜うう、残念(涙)
また是非誘ってください!!!』
うん。
こっちの方が断然しっくりくる。
でもココで急に不安になる。
謝らなくていいのかな?私???
失礼なヤツだって思われないかな???
でも何度考えても私が伝えたい気持ちは『謝罪』じゃなくて彼女が誘ってくれた事に対する『嬉しさ』。
ええい!仕方ない!ココは自分の気持ちに正直に送ってみよう!もしこれで『失礼なヤツだ』って怒られたらそれこそちゃんと謝ろう!!!
勇気を出してそのままの文章で送ってみました。
そして彼女から返って来たメールの文章は
『オッケー!またね!!!』
良かったぁぁぁーーーーーっっっ!!!!!
誘ってもらえた嬉しさと『またね!』って言ってもらえた嬉しさとの両方でとってもシアワセ^^。
良かった、最初の文章のまま送らなくて。
もし、最初の『ごめんなさい』の文章のままメールを送信していたら、きっと彼女からも『いや、誘ったの急だったから。忙しいのにごめんね!』みたいな返信が返って来て、何となくお互いに謝って終わっちゃって、わたしもせっかくの誘いを断ってしまった罪悪感でこんなに幸せな気分にはなれなかったかもしれない。
そして、彼女も、次に私を誘おうかなって思った時に今回の事思い出して『忙しいかもしれないし』とか思ってしまって誘うのを躊躇してしまうかもしれない。
えー!やだー!また誘って欲しいー!!!
あれ?あれれれれ???
実は日常の中でついつい『ごめんなさい』って謝っている場面のうち、もしかして「謝って終わる事がマイナスに働いている場面」が結構あったりして!!!
謝ってしまう事でせっかくの相手からの気持ちを受け取ってないんじゃないか???
本当は謝るんじゃなくて、相手からの気持ちをきちんと受け取って、感謝の気持ちをちゃんと伝えた方がいい場面っていっぱいあるんじゃないだろうか。
目からウロコです。
「まずは謝る」って社会人としてあたりまえの事だと思ってた。
あ、いや、もちろん私の過失や相手に迷惑をかけた事できちんと謝らなくては行けない場面もありますから、その場合はきちんと謝罪します。
でも。
本当は謝る場面じゃないのに『謝って済ませてしまう』ことで失っている事が実は沢山あった事にも気づけました。
もし私がだれかを楽しい気持ちや好きだなって気持ちで誘った時に『ごめんなさい』って言われちゃうときっと誘った事を申し訳なく思ってしまう。それより『ありがとう』って言われた方が断然嬉しい!!!
だからやっぱり、
『なんとなく謝ってしまう』
のをやめて、まずはその時に自分が『本当は何を相手に伝えたいか』に注目してみる。
それで
『ごめんなさい』を伝えたい時はきちんと『ごめんなさい』を伝える。
でも、
『ありがとう!』『嬉しい!』『大好き!』の気持ちのときはきちんとその気持ちを伝えたいな。
とか言っておいて、気がつくとついついうっかり謝ってしまっていて、後から「ココは本当は『ありがとう』だったな^^;」という場面もまだまだ多いのですけど^^;
道のりは続くのでした。
以前の記事↓
10年ほど前、数年間セーブしていた仕事量を増やし、本格的に仕事を再始動する事にした時。
ふと思い立ってペンケースと筆記用具一式を新調することにしました。
具体的なイメージがあった訳ではないのですが、どうしても心の底から『よし!これだ!』って思えるものにしたくて、お休みの日を一日使ってあちこちのお店を見て回りました。
いくつもいくつもお店を回ってはペンケースを手に取って何度も開けたり閉めたり。
その間、頭の中では自分が仕事をしている様々な場所でそのペンケースを使っている場面を妄想、妄想、また妄想…。
その時の気分を想像して少しでも『うーん…』って思ったら却下。
また次のお店へ。
ペンケースだけではなくボールペンも同じように手に持って書いてみて、いろんな場面でそれを私が使っているところやペンケースから取り出したりしまうところを妄想妄想…。心の底からウキウキ出来そうかをチェック。
シャープペンシルはもともとものすごーく気に入って使っていたものがあるので購入しませんでしたが、消しゴムも『使っていてウキウキしそうか』を基準に徹底的に選びました。
多分、その時の私を端から見ていたら、きっとものすごい変な人だったんじゃないかと思うほどの集中ぶり(笑)
たかがペンケースと筆記用具ごときに丸一日。
一切の妥協も許さずに徹底的に見て回り、やっと心の底から気に入ったものが揃いました。
特別高いものではなく、値段はいたって普通。
でもデザインがすごく私好みで、実際に手にして使っているところを想像するとむちゃくちゃウキウキする。
もう最強の筆記用具。
実際に使い始めてからも、手にするたびに、使うたびにニヤニヤ。
ちなみに、たぶん他の人が見たら本当になんてことのないただの筆記用具です(笑)
なぜ、その時に突然そこまでこだわってペンケースや筆記用具を選びたくなったのかは今でも謎です。
でも、ちょうど減らしていた仕事量を本格的に増やして再始動しようとしていたタイミングだったので、私なりの仕事に対する意気込みがそこに乗っていたのかもしれません。
そして、やっぱりそこまでして選んだおかげで、今でもそのペンケースと筆記用具を使っているときはとっても満足。
おかげで仕事中もすごく気分がいい。
何気ない事だけど、なんかとっても大事な事のような気がして、それ以来、そうやってモノを選ぶ機会が増えました。
もちろんそれまでも自分の気に入った物を買ってはいたのですが、選ぶ精度がさらに上がったというか、より妥協を許さなくなったというか。
おかげで十年経った今、ふと自分の周りを見回すと大好きなモノ達がたくさん♪
かといっていつも完璧なわけではないので、もちろん時々失敗もやらかします。
(いや、時々じゃなくて頻繁に?^^;)
でも、そんな小さな『大好き』の積み重ねが10年、20年後の自分を作っていくんだな、なんて改めて思った雨の午後でした。
スニーカー用のソックスが欲しいな〜なんて思っていたら、昨日たまたま出かけた先でかわいい雑貨屋さんを発見。
そしてまさにかわいいソックスも発見!
手にとって値段を見たら¥390。
そしてその横に3足¥1,000-の文字。
思わずあと2足選んでレジに行こうと思ったその時、
「ん?ちょっと待った」
何かがちょっと引っかかって思わず立ち止まってしまいました。
家にあるんです。スニーカー用のソックス2枚。
一応2枚でも間に合ってはいるんだけど、さすがにちょっとせわしないのでもう一枚欲しいな〜って思ってたんですよね。
そう、欲しかったのは『あと1枚』
ここで3足買っちゃうと確実に多すぎるんです。
そんなに毎日スニーカーソックスばかり必要としているわけでは無い。
ここ数年で何度か繰り返してきた『ときめきの片付け』で、『持っていても使わずに結局さよならするもの』とたくさん向き合ってきました。
おかげで『自分が使いこなせる洋服の量』みたいなものがなんとなく感覚としてわかるようになってきました。
「やっぱり3足はいらないな…」
もう一度その中で一番ときめく1足だけを選んでレジへ。
でもね〜なんとなく抵抗があるんですよ。3足買えば安くなるのに1足だけしか買わないのって。
面白いですよね?
1000円と390円だったら確実に使うお金は390円の方が少ないのになんか無駄遣いしてる気がする…。
これ、なんか、トリックですよね?
3足本当に必要ならもちろんお得なんだけど、本当に本当に必要?本当にときめくのか???って自分の心にちゃーんと問いかけたらやっぱり1足しか必要無いとの結論。
結局、1足だけを390円で買って帰りました。
お家に帰って靴下を引き出しにしまいながら『ちょうどいい数』に大満足。
やっぱり1足で正解でした。
もし3足買ってたら「なんか買いすぎたかな」って変な罪悪感が発動するところでした^^;
こうやって知らないうちにあまり考えずになんとな〜くしてしまっている『選択』が日常の中にたくさんあるんだろうな。
とってもちっちゃいけどとってもとっても大切な選択。
大切にしていきたいです。
中学校の3年間、バスケットボール部に所属していました。
小学校の頃からずっと憧れていたバスケ部。
中学入学と同時にすぐさま入部しました。
憧れのバスケットボール用シューズも買って、いよいよ念願のバスケ部生活が始まった!!!
のですが…
バスケットボールって重い…
全然思うように投げれない…
シュートどころかパス練習一つ満足にこなせない…
あれれれ???
こんな筈ではなかったのだけど…
憧れていた時に想像していた自分の姿とはあまりにもかけ離れています。
日に日にコツを掴み、みるみる上達していく同級生たちにどんどん遅れをとり、ついに万年補欠の座を手に入れました!!!(←威張ってどうする)
練習試合などではたまーーーーにお情けで試合に出してもらうこともあったのですが、ボールを持っていればあっという間に相手チームに取られる、パスをすればなぜか相手チームに渡る、たまにシュートをしても当然のように外すのでリバウンドのボールはやっぱり相手チームへ…。
もう、それはそれは見事なへなちょこっぷり。
それでも憧れて入ったバスケ部でしたから、『何が何でも3年間はやりきる!』と決めて、2年生あたりからは、ほぼ『3年間やりきったという事実を残すためだけ』に部活に出ていたような気がします。
そんなこんなですっかり『私は運動は苦手、下手、万年補欠』という自己イメージができあがったまま大人になりました。
*******
そして大人になってだいぶ経ってから、ある日ふと思ったんですよね。
あれ?私、本当に運動苦手なのかな???って。
よくよく考えたら、マット運動や跳び箱は結構得意だったんですよね。
ずば抜けてできるわけではなかったけれど、それなりにはこなせてた記憶が…。
あれれれれ???
そして、中学の時のスポーツテストのことを思い出しました。
私、握力とソフトボール投げの結果がむちゃくちゃ悪かったんですね。
あまりの数字の悪さに『もう一回やってみる?』ってやり直しさせてもらったほど。
(2回目はもっと悪い成績でした^^;)
そう、握力と腕力がめちゃくちゃ弱かったんです!
あれ???
そんなに握力も腕力も無いのにあの大きくて重いバスケットボールを操れるわけがないじゃない!!!
そう、当時の私に必要だったのは腕力と握力を鍛えるトレーニングだったんですね。
ボールを持つ力、投げる力が弱すぎて、そもそもみんなと同じように練習をこなして成果を上げるためのスタート地点にすら立ててなかったんです。
そんなこととはつゆ知らず、ただただひたすらみんなと同じ練習をこなし、そしてみんなと同じような結果を出せない自分に『運動神経の悪い人』というレッテルを貼って、どこかで諦めていました。
あーーー、気づくのが遅すぎる!!!
「バスケットボールを扱うには握力と腕力が致命的に弱い」ということがわかっていれば、もっと違う鍛え方ができていた筈!
握力と腕力を鍛えるためのトレーニングなんて、調べればちゃんとあっただろうに。
あー、あの当時の自分に教えてあげたい!!!
↑
って、その二つを鍛えたからといってレギュラーになれたかどうかはわかりません。もちろんそれでも万年補欠だった可能性も^^;
でもね、このことで気がついたんです。
同じ
『バスケットボールが下手』
という状況があった時に、
『腕力や握力がなくてボールを思うように扱えない』
という原因きちんと把握すればそのためのトレーニングを積めるのに、大雑把に
『運動神経が悪い』
というレッテルを貼ってしまったらその先の可能性を潰してしまう。
実はこういうことって世の中にいっぱいあるんじゃないのかしら???
本当はちゃんと原因があって、たまたまできないことがあるだけなのに、『能力がないんだ』って大雑把なレッテルを貼ってしまうこと。
それからは物事の捉え方が、だいぶ変わりました。
そしてこの考え方が私の全てのレッスンの基本になっています。
『うまくいかないことには必ず原因がある』
その原因さえ見つけて向き合えば必ず新しい世界に出会えます。
特にボイストレーニングのクラスはまさにその集大成。
一緒に新しい世界に出会ってみませんか?
↑↑↑
あははは!なんと、最後は宣伝に!!!(笑)
お気軽にお問い合わせくださーい♪
前回のブログ『バスケットボール』(→こちら)で、あたかも後は握力と腕力さえあればレギュラーになれそうだったかのような書き方をしていますが、実は、他にも苦手なものが^^;
私、めちゃくちゃ足が遅かったんです^^;
忘れもしない小学一年生の50メートル走。
体育の時間に一人ずつタイムを計り、その結果が教室の後ろに張り出されました。
みんなでワイワイのぞいたその表には全員のタイムが。
正確な数字は忘れてしまったのですが、確か、みんなが10秒とか11秒、12秒台とかだった中で私は多分13秒台…。(もしかしたら15秒台)
あれ?なんかみんなと数字が違う!!!(汗)
慌てて周りのみんなのタイムを一通りチェック。
あ!一人だけ同じ秒数台の子が!!!
かろうじてその子よりコンマ何秒か早かったものの大して変わらない数字。
当時、クラスには確か45人以上の生徒がいましたがその中での最後をその子と争っている状態。
あー…。
私、嫌いだったんですよ、鬼ごっこ。
すぐ捕まっちゃうし、自分が鬼になったら今度は永遠に誰も捕まえられないし。
ちっとも楽しくない。
なんでそんなに鬼ごっこが弱いのか、この時にその謎がはっきりと解けました。
そして、この頃から鬼ごっこにはまず参加しなくなりました。
もっぱらおままごとか鉄棒。(←鉄棒は大好きだったんです)
当然運動会の徒競走も大嫌い。
6人中いつも5位か6位。
… … …。
はて???
私、なんで中学でバスケ部に入っちゃったんでしょうねぇ???
握力なし、腕力なし、走るの遅い。
↑
この中に一つもバスケ部向きの要素はないのですが…^^;
なぜか憧れちゃったんですよねぇ〜
でもね、実はバスケ部に入っていいこともあったんです。
部活って、毎日のように練習がありますよね。
そして練習で必ず毎日グラウンド10周走らされる。
これがキツくてキツくて。
でも、へなちょこなりにも毎日走っているうちにだんだんと体力も筋力もついてきたみたいで、なんと中学のマラソン大会では全体の人数の3分の2くらいのところまで順位が上がったんです!
半分には遠く及んでませんでしたが、小学校時代の徒競走でほぼいつもビリッケツだった私からしたらものすごい快挙!!!
これはめちゃくちゃ嬉しかったです。
やっぱり鍛えたらちゃーんと体って応えてくれるんだなぁ〜、って。
でも、だからと言ってそれ以上に走りこもうとはしませんでしたけど^^;
もし、タイムマシンがあって、今の私が当時の私に会いに行けたら、走り込みと握力、腕力トレーニングの重要性を話して学校から帰った後や休みの日にも一緒に練習したりする松岡修造さんのような熱血コーチになってしまうかも(笑)
あー、でも今から考えると、当時バスケがめちゃくちゃ強かった友達はそうやって自分自身でも色々トレーニングしてたのかもしれないな…。
やっぱり、単に、運動能力がある、ないって大雑把に決めつけちゃう前に細かい分析してみるのって大事ですね。
そうか!!!
ながーーーーーい時間をかけて私にそのことを教えてくれるためのバスケ部入部だったのかしら。
(と、いうことにしておきます^^)
ずっと制限されることが大嫌いでした。
ま、制限されることが好きっていう人の方が少ないかな???
今まではとにかく制限されることを極端に嫌っていて、どちらかというと『制限を超える』ということに重きを置いて生きてきたのだけれど、最近、制限を意識しなくてはいけない出来事がいろいろあって、今までだったらそれってただのストレスでしかなかったのですが、ふと、「今までの自分の中の常識の逆をいってみよう」と、あえて制限を積極的に『いいものとして』取り入れてみることにしてみました。
いろんなことがあって全ては書ききれないのですが、小さなことでは例えばスペースの使い方とか。
この場所に入る量のモノしか持たない。なんていうのもそう。
(また片付けの話ですね(笑))
「仕方なく」制限するとただのストレスでしか無いのだけど、「前向きに・積極的に」制限してみたら、そのスペースに入る最小限のものに絞ろうと思うことで、本当に好きなものしか持たなくなるし(持てなくなる)、しかもそれを普段使いにして使っていかないといけなくなるので、必然的に『お気に入りだからこそあまり使わずにとって置いて結局新品同様のまま捨てることになる』というサイクルから抜け出すことにつながりつつあります。(まだ道半ば^^;)
このブログにも何度も書いている近藤麻里恵さんの『ときめきの片付け』に出会って片付けを始める1年ほど前、実は先に『断捨離』という言葉を生み出したやましたひでこさんのメソッドを元にお片づけをしたことがありました。
その時もある程度は片付いたのですが、彼女のメソッドにあった『持ち物の量を制限する』という発想がどうしても取り入れられなくてメソッド通りにはやりきれませんでした。
でも、今ならやましたさんの言わんとすることがよくわかる。
あえて『制限』を設けることで初めて見えてくる自分の中の本当の気持ち。
「本当に何が好きで本当は何が嫌いなのか」
自分の中のアンテナの精度が上がりました。
同じことが時間やお金の使い方なんかにもそのまま当てはまっていて、思った以上に、本当の自分の意思では無く惰性で選んでいる事柄が多かったんだなぁ〜と改めて発見。
『制限があるからこそ大事なことがより鮮明に見えてくる』
ちょっと目からウロコです。
でもね、この感覚になるまでに多分4〜5年かかってます。
今ここに書いてるようなことはやましたさんの『断捨離』の本に書いてあったんですよ、多分。
でも『制限されること』に極端に抵抗のあった当時の自分には全然響いてこなかったんですね。
その後、こんまりさんの『ときめきの片付け』を数回繰り返して徐々に物が少ない状態に慣れてきた今だからこそ、そういう心境になれたんだろうな。
そして『モノ』でそういう心境になれたことで、他のことにもそれがつながって。
人の概念が変わるまでにはある程度の道筋が必要ですね。
それでも、一歩踏み出せば、そしてまた次の一歩を一つずつ踏み出し続ければ、必ず変化は訪れるのですね。
人間って面白い。
楽しいっっ!!!
めちゃくちゃ楽しいっっ!!!
何をやっているのかはまだ詳しくは言えないのですが、またまたちょっと新しいことにチャレンジしています。
やり出すまではとても自分には無理だろうとちょっと諦めてもいて、誰か得意な人を探してやってもらおうかな〜なんて思っていたことなのですが、ダメ元でいいので試しにチャレンジしてみよう!と、やり始めてみたら、最初はもちろんうまくいかなかったのだけど色々失敗しながら何度も試しているうちにコツがわかってきた!
『失敗してもいいじゃん』
『元々できないんだから駄目で元々、うまくいけば儲けもの』
『遊び遊び♪』
この感覚になれたらすごくいろんなことに気軽にチャレンジできるようになりました。
私、今まで、チャレンジといえば、もっぱら『お一人様ミッション』のようにかなり気合を入れて挑むタイプのものが多かったのですが、最近ではそんなこんなで楽しいプチチャレンジがたくさん。
小さな子供が色々なことを吸収してできるようになっていく過程って、無邪気にひたすら何度も繰り返しているだけなんですよね。うまくいかなかった時に『これは失敗だ』っていうジャッジをしないし、いちいち反省もしない。
そんなことはすっ飛ばして、ただただひたすら繰り返し試す。
でも、大人になると、試す前についつい失敗した先のことを考えてしまう。
「失敗を経験せずにダイレクトに成功する方法」を探してしまう。
一度うまくいかないと『向いてないのかな』とか考えてしまう。
なんなら繰り返し試している時間より、考えている時間の方が長かったりして!!!
でも、よくよく考えてみたら失敗を通らずにいきなりできるようになることってあまりないですよねぇ???
初めて歩き出す時だって、たくさん転ぶし、
ご飯だって最初は周りにボロボロこぼしながら食べるし、
自転車に乗るのだって失敗から始まる。
こうやって考えたら、失敗はむしろ通らなきゃいけないものなんじゃないの???
あら、目からウロコ。
もちろん中には絶対に失敗できない状況というのもあるだろうけど…
少なくとも、新しいことへのチャレンジに関しては
『失敗してもいいじゃん』
『元々できないんだから駄目で元々、うまくいけば儲けもの』
『遊び遊び♪』
この魔法の言葉、使えそうです^^
9月1日、新学期のスタートですね。(今の学校はもっと早いところが多いですね)
今年の夏は大分お片づけやら大掃除やら、私なりの宿題を結構やりました。
とは言っても普段からマメに色々されてる方から見たらささやかなことなんですけどね。
でもいいんです、大事なのは『自分比』。
私ねぇ、苦手なんですよ、家事全般。
中学校の時、技術家庭科(?)という、男子も女子も全員で木工やら料理やら裁縫やらをやる教科がありましたよね?
私、技術部門での課題で木材で作品を作った時、男子もいる中で堂々クラス2位の成績だったんです!
でも裁縫になった瞬間にあっという間に後ろから数えた方が早いという状況に…^^;
後々男子は技術、女子は家庭科と教科が分かれてしまった時は本当にがっかりでした。
大人になってからは家事全般は教科ではなく、自分のこととしてやらなくてはいけないのでそれでもなんとかやってはいたのですがとにかく抜けなかった苦手意識。
でもね、片付け大好きな『こんまり』さんこと『近藤麻理恵』さんの本を読んでたら、なんか、片付けって楽しそうな気がしてきたんです!
あとはなんでも捨てちゃう自称捨て変態の『ゆるりまい』さん。モノが少ないのって意外ととっても楽しそう!!!
そしてWonder Rainbow Factoryの相方でもある『かつらけいのすけ』氏。お料理&修理大好きなかつら氏のブログを読んでたら、なんかお料理とか修理って楽しそう!って思えてきたんです。
そんなわけでお片づけやら料理やら修理やら、以前よりちょっとだけ楽しくなってきた次第です。
あ、そうは言っても元が元ですからね、やっと人並みに近づいてきたくらいかな?(っていうか人並みってどのくらい???)
でも本当に『楽しそう!』って大事ですよね。
見てるうちにつられて自分もやりたくなってくる。
学校の先生でも、本当にその授業を心底好きで楽しんでいた先生に習った教科は勉強が楽しかった気がします。
そういえば、ハワイでお世話になった語学学校のマット先生もすごーく楽しそうだったな。
『自分の大好きなことを心底楽しむことが誰かの力になる。』
↑
これ、『人生の秘密』だな。いや、秘訣かな。
前回のブログ(→こちら)にも書いたこれ↓
『自分の大好きなことを心底楽しむことが誰かの力になる』
誰かが夢中になって何かを楽しんでいる姿を見ていると知らず知らず見ているこちらまで笑顔になってしまう。
誰かが夢中になって楽しんで作ったものに触れるとなんだか私まで元気になる。
誰かが心底楽しんでいる姿や、誰かが心底楽しんで作ったものに、ものすご〜くパワーをもらいます。
以前、家族の知り合いの方が葡萄農園をはじめられたということで、早速注文して葡萄を送っていただいたことがあります。
会社員だった旦那さんが会社を辞めて長年の夢だった葡萄農園をはじめられたそうで、葡萄と一緒に入っていたお手紙には丹精込めて作られた葡萄に対する愛と念願叶って葡萄を生産できるようになった喜びがたくさん溢れていました。
その葡萄は本当にすっごく美味しくて、私は直接の知り合いではないにもかかわらずなんだかとっても嬉しくなってしまって、葡萄を食べながらいっぱいパワーをもらいました。
他にも、例えば私の大好きな洋服屋さん。
そこのお洋服って、何気ないところにちょこっとした遊び心があるんです。
もちろん、見える部分も可愛いのですが、時にはよーく見ないとわからないようなところだったり、なんなら着ちゃったら全く見えないようなところにちょこちょこっとした細工がしてあったりするんですね。
きっとそのデザイナーの方はこのデザインを考えながらニヤニヤワクワクしちゃってるんだろうな〜って思わず想像しちゃうんです。そして着ているこちらまでワクワクしてしまう。
他にも以前テレビで紹介されていた、公園を訪れる子供達に昆虫のことをとても詳しく教えてあげる職員さん。
とにかく昆虫のことが大好きで、大好きで、本来のお仕事は公園の管理、整備のお仕事なのですが、その知識を公園を訪れる子供達に教えてあげてるうちに『昆虫博士』と呼ばれるようになって子供に大人気、いまやその職員さんに昆虫のことを教わりたくて子供達が通ってくるほどとのこと。おかげで公園を訪れる人の数がグンっと増えたそうです。
その『昆虫博士』を取り巻く子供達の目、すっごくキラキラしてました。
でね、同時にこれってすごく面白いな、って思ったんです。
私の中には、『葡萄農園をやりたい!!!』っていう発想ってないんですよね。
むしろ土いじりはちょっと苦手な部類。限りなく虫が苦手なので、虫を見るたびに体が緊張してしまって、その緊張で土や植物と仲良くなる前にもう気持ちがヘトヘト。
でもそんな私とは大違いで『土いじりをしていると癒される』『畑仕事がしたい!』と言って、この葡萄農家さんのように畑仕事をするためにわざわざ郊外へ引っ越される方もいらっしゃいますよね。
そして、裁縫が苦手な私は、やっぱり『洋服作りたい!』って思わないし、さらには虫が苦手な私が昆虫博士になる可能性はほぼゼロ。私には昆虫を使ってあの子供達の目をキラキラにしてあげる力はない。
こうやって、私の苦手なことを『大好き』な人たちがいるんですよね。
不思議ですよね。みーんなの『大好き』がそれぞれの人によってすごく違うのって。
もちろん、みんな一人一人の『大好き』の対象が違うことはわかってましたが、なんだか私が思っていた以上に一人一人の『大好き』ってちょっとずつみんな違うのかもしれない。
そしてその人たちそれぞれがその『大好き』を仕事や趣味で存分にやってくれるおかげで、私は美味しい葡萄が食べられたりワクワクする洋服に出会えたり片付けや料理、修理が楽しくなったりするし、昆虫好きの子供たちはワクワクできる。
これってすごくないですか???
ひょっとして世界中の人の『大好き』、全部聞いて回ったらすごーくキレイに種類が分かれて、みんながそれを思いっきりやったら世の中がうまく回るような仕組みになってたりするのかもしれないなぁ〜なんてことを感じている今日この頃です。
9月11日。
2001年、アメリカの同時多発テロがおこった日。
この日を境に私の生き方が決まりました。
あの日に突然の別れを迎えた犠牲者とご遺族の方に教わったことを無駄にしたくない。
(詳しくはこちら→『チャレンジの原動力』)
『いつ、自分や大切な人が突然最後の日を迎えても大丈夫なように毎日を生きる。』
『「伝えておけばよかった」「やっておけばよかった」を残さない。』
『この世に未練を残さない。』
この信条がなかったら今の私にはなっていません。
様々な失敗は山ほどあるけれど、それでもこの信条のおかげでこの日々に悔いはなく、それは本当に本当にとても幸せなことです。
自分に大きな気づきをくれた出来事に深く感謝をすると同時に、ご遺族の方の毎日にどうか笑顔が溢れていますように。
そして日々この世を去っていく命たちがどうか悔いなくその日を迎えていますように。
私の勝手な祈り。
『ちゃんと愛を受け取る』ってとっても勇気がいる。
男女間にかかわらず、親子だったり友達だったり、会社の上司部下だったり先生と生徒だったり、はたまた通りすがりの人だったり。
そこに結構な頻度で『愛』が存在しているのだけど、意外に受け取ってないことって多いんじゃないのかなぁ。
もらいきっちゃったら怖いからなんとかして同等のものをお返ししないといられなかったり。
『お返し』ではなく、私もまたプレゼントしたいのか、それとも『お返ししない』という状況が怖いから『お返し』するのか。
恐怖感からの『お返し』って『これで関係はフラットに戻りますよね?』っていう確認、免罪符のような気がして、実はちゃんと相手からの『愛』を受け取ってないんだなぁ〜なんてことを最近思った。
もしも、相手からお返しがあるのが前提で物や行為をプレゼントしてるとしたら、それは『愛』じゃなくて『取引』だよね?
相手が『愛』としてくれたものを『お返し』で返した瞬間に「私はこれは『愛』としては受け取りません。『取引』ということで処理させていただきます」っていう意思表示になっちゃうんじゃないのかしら?
(あ、語弊があるの承知であえて書いてます。あくまでも私自身の心のつぶやきとして。)
でもねぇ。思わずしたくなっちゃうんですよね『お返し』。
怖いんですよね。もらいきっちゃうのって。
つまり自分はこれを『愛』としてうっかり受け取ってしまって、相手は『取引』のつもりだったらどうしよう???っていう怖さ。
うん。怖い。
でも、そこを勇気を持って受け取ることこそがもらう側からの『愛』なのかもしれないな。
つまり『ちゃんと愛を受け取る』ってことはちゃんと相手の『愛』を信頼するっていうこと。
そういう意味では「すみません」っていう言葉もおんなじ。
「ありがとう」は感謝だけど、「すみません」は謝罪だもんね。
「許してください」って。
その時点で全く受け取ってない。
ちゃんと「すみません」ではなく「ありがとう」が言える人に。
ちゃんと『愛』を受け取れる人に。
そういう人になりたいな。
ゴスペルクラスの生徒さんたちに私からご案内したとあるゴスペルコンサートのチケットがありまして。
チケットが我が家に届くタイミングの調整がうまくいかず、チケットが私の元へ届いてからそのゴスペルコンサートの日までの間にはもうレッスンが無く、皆さんに会えないことが発覚。
私自身、まだスケジュールが確定していなく、そのゴスペルコンサートの当日に行けるかどうかがわからないし、さて、みんなにどうやってチケットを渡そう???
15日の私自身のライブの日にお客さんとして来てくださる方も多いので、その時にお渡しするという方法しかなく、当初、そのつもりでいたのですが、自身のライブの日は頭の中が「ライブモード」になっちゃって、チケットを持っていくのを忘れそうでちょっと心配。
そしたらね、「先生、ライブの日じゃ大変だから他の日にチケット受け取りに行きましょうか?」って言ってくださった方がいらして。
ちょっと考えたのだけど、ここは皆さんに甘えてみることにしました。
というわけで、それぞれのクラスの方にご連絡。代表の方にチケットを事前に取りに来ていただくことになりました!
皆さんとっても快く対応してくださってめちゃくちゃありがたかったです。
「自分のライブの日に忘れずにゴスペルコンサートのチケットを持って行って渡す」
↑
たったこれだけのこと、ちゃんと頑張れば絶対できるんですよ。子供じゃ無いんだから。
でも、そこへ使う神経のエネルギーを、その日は純粋に自身のライブに使いたかったんです。
その「ひと仕事」を抱えてない方が自分が完全にリラックスしてライブにのぞめるなぁ〜って。
なので、ここは思い切って皆さんに甘えさせてもらうことに。
実はこんなとこにも結構勇気がいったりします。
だけど、勇気を出して甘えてみたら、みんなが暖かく『取りに行きますよ!』っていってくださって、ここに皆さんの「ライブ頑張ってくださいね〜」の気持ちが感じられて、めちゃくちゃ嬉しかったです。
思い切って甘えてみてよかった!
先日のブログ『ちゃんと愛を受け取る』で愛を受け取れる人になりたいって書いたのだけど、こうやってきちんと人を頼る・人に甘えるっていうことも「愛を受け取る」なのかもしれないな、と思ったのでした。
みんなの『愛』たくさんもらってパワー100万倍です!
ライブ、存分に満喫できるように頑張りまーす!
\(^o^)/
ライブチケット予約→THUMBS UP
Wonder Rainbow Factory 動画→こちら
さてさて、ワンレフことWonder Rainbow Factoryのライブもいよいよ3日後に迫ってまいりました!
その後もさらに続々とチケットの予約を入れていただいているようで、本当に嬉しい限りです。
そして動画の視聴回数がなんと2曲とも100回を突破!!!
嬉しいなぁ〜♪♪♪
頑張って作ってよかった。
本当に皆さま、ありがとうございます!!!
(動画の視聴は→こちら)
20年ほど前、周りの顔色を伺いながら生きている自分にハタと気づき、思い切って自分を生きる道を選びました。
おかげでその後様々な出来事に遭遇し、たくさんの別れも経験して来ました。でもおかげでたくさんの出会いも経験して来ました。
自分に嘘をついて生きていたって色々な出来事に遭遇するし、人との別れにも遭遇する。
自分に正直に生きていたって色々な出来事に遭遇するし、人との別れにも遭遇する。
どうせなら紛れもない自分自身で出来事にぶち当たりたいし、人との別れも経験したい。
そうやって日々のひとつひとつの選択をして来た結果、歳を重ねるごとに、より紛れもない自分自身にどんどん戻っていっている実感があります。
そのせいか、とても素敵な出会いがどんどん増えて来ています。
今回、12年ぶりに自身の歌を歌うことになり、リハーサルを重ねるたびに、さらにより「紛れもない自分自身」にどんどん戻っていっている実感を噛み締めています。
今まで歩いて来た道のりの全てがここへつながって来ています。そのどれか一つが欠けてもここへはたどり着かなかったのだとしみじみ。
たくさんの出会いと別れの全てに感謝。
あの日、一歩を踏み出した自分に感謝。
15日、お待ちしてまーす!!!
Wonder Rainbow Factory 1st LIVE
2017.10.15.SUN
12:30 open 13:00 START
TICKET ¥2500(当日¥3000)
チケットのご予約はこちらまで→THUMBS UP
または TEL 045(314)8705
突然ですが。
私、いつか、この世を去る時に、みんなに拍手で送り出してもらいたいんです。
『いよっっ!お疲れ様!存分にやりきったね!!!』って。
『あんだけ存分にやりきれば未練もないだろう。』って。
自分の大好きな人を見送る時に
『きっと、まだまだやりたいことがいっぱいあったろうに…』
って見送るのって辛くないですか???
どんな形であれ、いつであれ、別れが寂しいことには変わりがないけれど、それならせめて、寂しさにたくさんの涙を流した後には
『やりきったから未練もないだろうねぇ』
って納得した想いとともに見送らせてもらえたら…。
だから、私も大好きな人たちにそうやって送り出してもらいたいんです。
学校の卒業式のように、寂しいけれど、それでも清々しい気持ちで見送ってもらえたら。
そのためにも存分にちゃーんと日々を満喫しきる。
みんなが私を大きな拍手で見送ってくれたらいいな。
そしてできれば大好きな人たちのことも拍手で見送りたい。
それが私の夢。
昨日のブログ(先に読んでね→『夢』)にはああやって書きましたが、じゃあ、私が大好きな人を見送る時ににっこり笑って見送れるのかというと、決してそういうわけではなく。
おそらくものすごい勢いで号泣していると思われます。
で、
『なんだよー!!!なんで先に行くんだよー!!!早いよ!まだもっと一緒に遊びたかったんだよー!!!ちきしょーっっ!!!バカーーーーーーーーーーっっっ!!!』(←口が悪くてすみません^^;)
って散々悪態ついてると思う(笑)
だけど、それで散々悪態ついて散々泣き散らかした後に
『でも、ちゃんと存分に生き切ってたから許してやる!』(←何故か上から目線^^;)
って言って
『私も存分に生きるからちゃんと見守っててよね!』(←偉そう)
って言って
次の日からまた自分の人生を生きる。
↑↑↑
こうやって見送りたい。
そして私もこうやって見送られたい。
だからね、やっぱり今日も存分に楽しんできます!
今日は食事会とボイトレとゴスペル!行ってきまーす!!!\(^o^)/
このところ色々とバタバタしていて、なかなかゴスペルチームのみんなとゆっくり話せることがなかったのですが、少しひと段落したので先週は各クラスのメンバーに『誰か遊んで〜』と声をかけて時間が空いてる人に遊んでもらいました^^
急だったにもかかわらずそれでも何人かの皆さんが付き合ってくれて。
スタバでお茶だったりランチだったり夜の飲みだったり。
普段のレッスンだけではなかなか話せない話、たくさんできてむちゃくちゃ楽しかったです!
やっぱり皆さんそれぞれの人生を生きてらっしゃるから、生きてきている道のりや好きなこと、得意なことが違ったり、ちょっとずつ価値観が違ったり。
そんなことを知るのがとっても面白いし、この『違い』こそが財産なんだなぁ〜としみじみ。
よく、ゴスペルのレッスンやライブで、『声は一人一人みんな違う。その人の生きてきている道のりが全部声につながっている。その全く違う一つ一つの声が集まって歌うからハーモニーが広がるんですよ』なんてことを話しをさせてもらうのですが、歌に限らず、人と人の繋がりってやっぱり一人一人それぞれが違う人生、考え方、個性だから意味があるんだよなぁ〜と実感したのでした。
自分と考え方の同じ人に出会ったらもちろん嬉しいし、自分と違う価値観の人と話をして驚くこともたくさんあるけど、でも、もし、周りが全部全く自分と同じ個性、価値観の人だらけだったら大変よね???
だってもしそうなら私が苦手なことを全員が苦手で、私が得意なことを全員が得意なの。
↑
確実に社会が崩壊するな。
だいたい、みんなが私と同じだったらその時点で私が存在する意味って全く無くなっちゃう。
今でこそ、自分自身の思った道を突き進んでいる私ですが、もっと若い頃は『周りの人と同じようにできない自分』のことを悩んだ時期もありました。
でも、そんなの悩むことじゃなかったんだよなぁ〜。
『違い』そのものが財産。
もちろん同じ価値観だからこそ一緒に色々できることもある。
そして『違う』からこそお互いに無いものを補い合って力を合わせることもできる。
『同じ』も『違い』もどちらも大切な宝物。
『同じ』も『違い』も大事にしよぉ〜っと。
『自分自身を生きよう!』と決めてから約20年、なるべく自分の気持ちに忠実に生きてはきたのですが、ここ数年、さらに意図的に自分への忠実度を上げてきました。
やりたいと思ったことはとにかくチャレンジしてみる。
自分の心に嘘をつかない。
社交辞令を言わない。
それでも時々、知らず知らずのうちに大きく自分自身の心からずれてしまう時があります。
むちゃくちゃ腹が立ってたりむちゃくちゃ落ち込んでたり。
そんな時は大抵自分の本来の気持ちから大きくずれてしまっている時。
言いたいこと、やりたいことを我慢してたり、無理して頑張りすぎていたり。
で、なんでそんなことになるのかというと、『相手に嫌われたくない』からなんですよね。
相手が大好きな人であればあるほど、嫌われたくないのでいいところを見せたくなるし頑張っちゃう。
でも、その結果、無理をするので。一番大好きな人といる時間がちょっとずつしんどくなっていく。
私、ちょいちょいそのトラップにはまります^^;
でもね、幸いなことに、だんだんと自分でハマっている瞬間に気づけるようになってきました。
おかげで軌道修正もできるように。
だけどこの軌道修正がめちゃくちゃパワーがいるのですよ。
軌道修正するには『相手に嫌われてもいい』って覚悟をしなきゃなんない。
いやだー!嫌われたくないー!!!
だって大好きな相手なのに。
でも、私、過去にそれで山盛り失敗をしてきたことがあるので、ここは諦めて腹を括ります。
『大好きな〇〇さんに嫌われてもいい!!!』
心で決めるだけでは覚悟できないので必ず文字で書き出します。
んで、その覚悟をして相手に本音でぶつかる。
するとね、あら不思議。
相手も『実は…』って本音を言ってくれたりして。
へぇ!って毎回ビックリします。
こんなことを何度も繰り返してきて。
最近、ふと周りを見回したら本音で付き合える人がたくさん。
とっても幸せな環境に身を置いています。
もちろん本音で付き合ってみたら私の元を離れていかれた方もいらっしゃいます。
そりゃもちろん誰も自分の元を去らない方が嬉しいけど、本音を言ったら離れるってことは、もともと合わなかったってことですよね???
だったら無理に本音を隠して付き合っている時間が自分だけでなく相手にとっても損失なんだよなぁ。
最近、そんなことを思いました。
そんなわけでますます本音度が上がり、おかげで本当に毎日大好きな人たちと過ごせています。
自分の本音に、そして本音を言っても暖かく付き合ってくれている大好きな人たちに感謝。
大好きなみんなも本音で生きていられてますように!
ここのブログでも散々書いたけど、(『あ〜よ♪の副産物』・『「産業廃棄物」改め「資源」』)私は人と話すこと、伝えることが大好きです。あ、だからこうやって文章書くのも大好き♪
で、私のこの話好き・伝え好きな感覚のことを「資源や副産物というより賜物ですよ」なんて嬉しいことをおっしゃってくださる方がいらして。
私、ただいま絶賛『愛をきちんと受け取るキャンペーン』開催中なので、そのお言葉、素直に褒め言葉としてがっつりいただくことにしまして^^
そうなのか!賜物!ギフトなんだ!!!と。
自分の話好き、伝え好きな性格を『自分が天から与えられた才能』ってことにしてみることにしました^^
本当か?本当なのか???
正直わかりません…。^^;
でもね、やっぱり大好きなんですよ。
人と話すのも、そしてこうやって文章書くのも、そしてもちろん歌うのもレッスンするのも。
とにかく『人にものを伝える』っていうことがたまらなく楽しいし、その瞬間が幸せでたまらない。
だからこのあいだのWonder Rainbow Factoryのライブで歌うのも喋るのもどちらもむちゃくちゃ楽しかったし、その後動画を作ってみんなに見てもらうのも楽しい♪
先日のGospelのイベントのリハでみんなの指揮をしたのもめちゃくちゃ楽しかった♪
ゴスペルや健康と歌、ボイストレーニングのレッスンでみんなの歌声が本来の輝きを放っていくためのヒントを伝えるのがたまらなく嬉しい♪
ブログで自分の思ったことを綴るのもすごーーーーく楽しい♪
そして大好きな人たちと食事やお茶などしながら色々思ったことを話ししたりするのもめちゃくちゃ楽しい♪
もうね、ふと周りを見回したら楽しいことだらけ、大好きなことだらけの毎日になってました。
いいじゃん、こんなに楽しいんだから、もうギフト・才能ってことにしてしまおう。
だってこれらを才能ってことにして毎日の中でこういう瞬間をどんどん増やしてったらめちゃくちゃ楽しいし、そんな幸せなことってないですよね???
自分の幸せは自分で作るのだ!!!
いやぁ、でも不思議。
自分の「喋り好きな性格」はずっとちょっと人に迷惑かけてると思ってましたから。
本当に。
こんなに喋り好きで、みんなに話聞いてもらって悪いなって。
迷惑かけないようになるべく手短に話そうって。
ずっとそう思ってました。
『才能』って本人にとっては当たり前すぎて気がつかなかったり、結構持て余して困っているようなことの中にこそあるのかもしれませんね。
面白いもので、自分の『喋り好き・伝え好き』なところを才能として認めてあげることにしたら、積極的に人に話を聞いてもらう時間を自分から作るようになって、存分に伝えたい内容を伝えるようになったので、以前よりも無駄なく、歯に衣着せずに伝えたいことを話すようになりました。
そしたらね、なんかお話聞いてくださった方が喜んでくださることが増えたんですよ!
もうね、本当にびっくり。
私にしてみれば存分に話聞いていただいて感謝しかないのに。
いやぁ、世の中って面白い。
『人生の秘密』って、まだまだきっといっぱいあるんだな。
今朝、朝食を準備しながらボーっと考えていました。
いったい私はいつからこうやって自分の心と向き合う習慣がついたのだろうか???
何か問題やうまくいかないことが起こった時、何か新しいことにチャレンジをしたい時、折に触れ、
「これは自分の中のどんな思い込みが邪魔をしてるんだろうか?」
「自分の中のどこの考え方をシフトしてあげればいいんだろうか???」
と、私は常にこうやって自分の心の中に答えを探す癖があるのですが。
この習慣、自分にとってはすっかり当たり前の流れになってしまっていたのだけど、最近いろんな人と深く突っ込んだ話をすることが増えて、どうやらみんながみんなこの流れでものを考えているのではないらしいということにも気がついた。
いったいいつからなんだろう???
そうやって自分の人生を振り返って見た時にいくつかのきっかけがあることを発見。
10年くらい前に『潜在意識』について書かれた石井裕之さんの『心のブレーキの外し方』という本を読みました。
自分を無意識に動かしている『潜在意識』について、そしてその扱い方について書かれている本。
この本に出会って自分の潜在意識を認識するようになってから無意識の癖などに振り回されることが格段に少なくなりました。
遅刻癖も直せた!(←この話はそのうちまた)
でも、その前にすでに自分の心と向き合う習慣はついていたな…。だからこそこの本の内容がスッと理解できた気がする…。
いつからだろう…。
思い出しました。
20代の頃に心理学の勉強をしたのでした。(←忘れてたのかよ!)
当時、初めて心理学というものを学び、赤ちゃんが生まれてからどのようにして社会を、自分を認識していくのかということを知ったのでした。
それまで自分が当たり前のように捉えていた「世界」が実は当たり前ではなく、人それぞれによって大きく捉え方が異なっていてそれぞれの人ごとに異なった『世界』があるんだということを知ったのもこの時です。
この頃から物事を認識する『心』や『脳の仕組み』などにとても深く興味を持つようになっていろんな心理学や脳科学に関する本などを沢山読んで勉強するようになったのでした。(その中の1冊が前述の『心のブレーキの外し方』)
でもねぇ〜、確かに色々と知識として出会ったのはこの頃なんですけど、どうもその前からなんかあるんだよな、私の心の中に…
なんだろう…。
…。…。…。
あーーーーーーーーーーっっっっっっ!!!!!!
あった!!!
ありましたよ!そもそものきっかけ!!!
これだ!!!→『超能力少女?』(以前に書いたブログです。読んでみてね)
この時の自分の中で出た答えがきっかけでした。
『人は自分自身で決めた分しか、決めたようにしか、自分で自分に許可したようにしか能力を発揮できない。』
小学生の時に出したこの結論を私はずーーーーーーーっと追っかけていたんだ!
ものすごい発見!!!
私は自分の人生をかけて自分が小学生の時に立てた仮説の実験をしてたんです!!!
だから、制限を外すことが人生のテーマだったんだ!
環境が変わることを怖がることで能力が制限されることを知っていたから(仮説を立てていたから)、環境が変わってもいい!と踏み出し続けてきたんだ!(『嫌われてもいいという覚悟』もその一つ)
うわぁ、、、
びっくり、、、。
ずっと小学生の自分の問いに答え続けてた、私、、、。
ってその時のブログ(『超能力少女?』)読み直したら「改めて思う2017年の春」とか書いてあった^^;
あれ?わかってたのか?自分で。
それこそ潜在意識だな、こりゃ。
大好きな大好きな私の義妹。
普段は会社勤めをしている彼女。
「最近イラスト描くのが楽しくて♪」(今の仕事は絵とは全く関係ないお仕事です)
そして見せてくれた何枚かのイラスト。
『かぁーわぁーいいーっっ!!』
もうだいぶ長い付き合いだけど、彼女が絵を描くのが趣味だなんて聞いたことがなかった。
最近になって急に沢山イラストを書き出したみたいなのだけど
↑ね?かわいいでしょ???
でね、この絵を見て私はめちゃくちゃ不思議に思って聞くわけですよ。
「ね、なんでこういうふうに色をつければいいってわかるの???」
私は彼女のイラストの色使いが大好きなんだけど、
例えばこのキャンディちゃんとかね?
なんでこういうふうに2色を選んで、そしてこの辺りにこういう風に色をつければいいってわかるんだろう???
くまちゃんのコップもね。私だったら絶対一色で塗り潰しちゃうの。
なんでこういう2色使いが、そしてこういう風に塗ればいいって思い浮かぶの???って不思議で不思議でしょうがないんです。
他にも沢山沢山かわいいイラストを描いていて、そのひとつひとつの色使いが大好きで、そしてそれを見るたびにいつも不思議に思うんです。
でも、彼女はその質問されても困るみたいで。
「なんでって言われても…」
あーー。
これを才能というのか…。
なんとなくわかっちゃう、いや『こういう風に色つけたいな』って自然に出てくるんだな。
だからやっていて楽しい。
私はこんな風に色つければいいとか思いつかないし、絵を描くのは楽しくないわけじゃないけど、そこまで絵を描きたいとも思わない。
人にあって自分にないものってめちゃくちゃわかりやすい!!!
彼女には絵の才能があって私には無いだけなんだ!
急にね、腑に落ちたんです。
こうやって一人一人持っている才能が違うってことか!
ってことは、私が自然とこういう風にやりたい、やればいいって思い浮かぶことって「私の才能」なのかって。
(詳しくはこちら→『大好きなこと』)
先日も生徒さんで、人と人とをつなげるコーディネーターのお仕事が大好きでっておっしゃってる方がいらして。
やっぱり自然とどういう風に話せばいいのかわかっちゃうみたいで。
それも才能ですよね???
あと、このブログにもよく登場するときめきのお片づけの「こんまり」さんも、お片付け大好きだし、片付けのことならいくらでも考えていられるし、どうやればいいかが自然と見えてきちゃうんですよね、きっと。
いや、もちろん、最初から全部わかっていたわけでは無いだろうけど、いろいろな物事の中から自然とそのために必要な情報をキャッチしていて、自然と研究しちゃってるんだと思うんですよね。
例えば同じ絵を見ていてもきっと義妹と私ではキャッチしている情報が違うんですよね。たぶん。
ただただ『すごいなぁ〜』と見ている私と違って、おそらく彼女は全体の色使いや筆の運びなどの情報を自然とキャッチしちゃってるんですよね、きっと。
面白い!!!
やっぱり、自分の「大好きなこと」や「自分にとっては当たり前のこと」の中に才能って隠れているんだな、きっと。ちゃんとそれを見つけて、才能として認めてあげなきゃもったいない。
みんながちゃんとそれぞれの才能、持ってるんだな。
やっぱり、自分の大好きなこと、大事にしよう〜っと♪
以前のブログ『それぞれの才能』とか『それぞれの大好き』にも書いたのだけれども、本当に人によって、「好きなこと」「得意なこと」「才能」って多種多様だよなんだなぁ〜と実感する今日この頃。
みなさん、レーダーチャートってわかります?
こんなやつ↓
いろんな人に会って話をしてそれぞれの人の才能に触れるうちに、最近、私、人それぞれの才能や能力ってこのレーダーチャートみたいになっているんじゃないかって思うようになりまして。
いや、もちろん、人それぞれ、得意不得意があるのはわかってましたから、人によってそのチャートの形が違うであろうことは想像がついていたのですが、最近思ったのは、
『このグラフの内側の面積(ピンクの部分)って実は全員全く同じ大きさ』
なんじゃないかと。
んで、内側の面積は一緒だから、値が低い部分がたくさんあるほど突き抜けるところも多かったり、突き抜ける部分が1箇所だけだとめちゃくちゃその値が高かったり、突き抜ける部分が何箇所もあると値は一般的な人よりは高いけどめちゃくちゃ突き抜けてる人よりはちょっと低かったり、とか。
で、人って往々にして自分ができなくて他人ができる事には目が向きやすいからついつい人のグラフ値の飛び抜けて出っ張っているところにばかり目が向きがちだけど、そういう突き抜けている人って、自分が苦手なところを変に伸ばそうみたいなエネルギーを使ってないんじゃないかなぁって。
ちゃんと凹ますところは凹ませて、そこはしっかり他の得意な人に頼る!
で、そこをちゃんと凹ますから本来の得意なところが突き抜ける!みたいな。
でも私たちってついついなんでもできた方がいいような気がしちゃうから、自分の苦手なところは苦手なところでグラフの値を上げようと頑張っちゃって、そこにエネルギーを使えば使うほど、本来飛び抜けるはずだった部分が飛び抜けられなくなっちゃう。結果、正五角形に近い形になる。
あ、もちろん正五角形でもいいんですよ。
だけどね、本当はこのグラフの項目ってこんな5つ程度じゃなくてもう何万とあるはずだから、そんな正○角形みたいな人ってまずいないんじゃないのかなぁって思うのですよ。
多分みーんなどこかしらへっこんで、どこかしら出っ張ってっていびつな形をしているんだと思う。
で、1箇所だけ突き抜けることだけが素晴らしいわけでもなく、満遍なくどの値も平均していることが素晴らしいわけではなく、全員のグラフが全く違う形だということが素晴らしいんじゃないのかと。
大事なのは自分の本当のグラフの形にちゃんと自分を近づけることなんじゃないのかな、と。
だから、きっと自分が得意なこと、好きなことをちゃんとやって、苦手なことはきちんと人にたよるってことが自分の本来のグラフに近づくための道しるべなんじゃないのかなぁ〜と。
そして、自分の本来のグラフの形に近づけば近づくほど、無駄なエネルギーは必要なくなるし、どんどん輝きだすんじゃないのかしら…なんて。
なので、私も苦手なことは素直に人に頼ろうと思います。
… … …。
誰か我が家の家事やってくださーい!!!\(^o^)/(←そこか!)
家事が得意な人になりたい…(ToT)
以前に書いた記事(→こちら)で、
私は小学生の頃にしていた超能力実験(その話はこちら→『超能力少女?』)の仮説検証をいまだに続けていたらしい!
ということに気づいてから改めて自分の人生を振り返ってみたら、まさに私の人生はずーっと超能力実験だったんだなぁ〜としみじみ感じ感じている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
あ、超能力実験といっても、さすがにもう小学生の時みたいに『消しゴム動かしたい!』とは思ってないので、物を動かす実験はしてないです(笑)
でも、小学生のあの時、『人は自分自身で決めた分の能力しか発揮できない、逆に自分ができると信じて覚悟さえすればどんなことでも必ずできるはずだ』という結論に達したおかげで、大人になった今、何かこれをやりたい!こんなふうにしたい!と思った時に『とにかく自分がやれると信じる覚悟をする!』と強く思えるのはおそらくこの考え方が根底にあったからなんだな〜と改めて思いました。
『超能力』= 今の自分からしたら一見無理そうに思えることを可能にする力。
そう、夢を実現させる力です。
でもね、だからと言ってここまで来る道のりの中でそう何でもかんでも思うようにいったわけではなく…。
っていうか、今でこそだいぶ自分の扱いにも慣れましたが、最初はもちろん思うようにいかないこともたくさんあって。
で、なんでなんだろう?どうしたらいいんだろう???って思っている時に心理学に出会って心の仕組みを学んだり、いろんな本を読んで様々に試みてみたり。
随分とたくさんの本に助けてもらったのですがそんな中でも特に印象的で、とっても有効だった1冊が以前ブログでもご紹介した石井裕之さんの『心のブレーキの外し方』です。
私たちを無意識化でコントロールしている『潜在意識』についての本。
『潜在意識』が普段、どのように働いているのか、そして、どうしたらその『潜在意識』を味方につけることができるのか。
具体的に書いてあってとても分かり易かったです。
この本のおかげで、私は自分の『潜在意識』とめちゃくちゃ仲良くなって、随分と『自分自身に「知らず知らず」振り回される』ということが減りました。
そして、何か上手くいかないことがあった時、『あれ?今、私の潜在意識はどういう風に思っているんだろう???』というふうに確認をする癖がつき、その潜在意識への働きがけの仕方を変える、という対策を取れるようになりました。
おかげさまで今は本当に幸せな毎日。
もちろんこの本だけではなく、他にもたくさんの本にも出会い、またたくさんの人や出来事からもたくさんのエッセンスをもらって来て今の幸せな状況があります。なので、これだけが全てではないのですが、今の私の大きなベースになっていることは間違いないです。
すごく大きな出会いの一冊。
先日、朝、ふと心に顔が浮かんだ人がいて。
その日は仕事は昼には終わるので一緒にお茶かランチでもどうかと思ってダメ元でお誘いの連絡をしてみました。
最近、こういう感覚に素直に従って行動をするようにしています。
当日の朝になって突然声をかけるので、もちろん相手の方と予定が合わないことも多いのですが、『大事なのは自分の心に浮かんだ感覚を大事にしてあげる』こと。
以前はこういう時、
「いきなり誘ったら迷惑かな」
「そんな当日誘われたって空いてるわけないよな」
とか先に色々考えちゃって、とてもじゃないですけど突然のお誘い連絡なんてしたことなかったんです。
怖かったんですよね、断られるのが。ものすごく。
でも、
『とにかく自分の心の中に浮かんだ感覚をちゃんと大事にしてあげることを優先する!』
ということを決めてからは、フォーカスするポイントが
『断られたか・断られなかったかどうか』
という結果ではなく、
『自分の感覚を大事にしてあげられたかどうか』
に変わったんですよね。
だから、結果にこだわらなくなった。
『聞いたかどうか』が大事になった。
仮に断られたとしても
『都合を聞いてみたい!誘ってみたい!』
と思った自分の感覚を大事にしてあげた結果なので、すごーく満足する自分がいるんですよね。
ホント、結果が二の次になった。
これ、最初は別のことで始めたような気がします。
とにかくダメ元でどんどん人にいろんなことを聞いたりお願いしたりしてみる。
もちろん、聞いてもダメなこともたくさん。
でも何度もいろんなことで『ダメ元でもとにかく聞くだけ聞いてみる』をやってるうちに時折びっくりするようないいお返事をいただけることが何度かあり、そんなことを繰り返すうちに、すっかり『聞いてみる』が楽しくなってきちゃったのでした^^
だって、きっと可能性が低いだろうと思っていたところに道が開けるわけですから、まさに
『超・能力』。
自分の今まで思っていた世界から一歩外へ可能性が広がるんですよ!
これが楽しくないわけが無い!
そして勇気を持って当日でもその時心に浮かんだ方をお誘いし始めてみたら、都合が合わなくて会えなくてもその連絡をきっかけにそのままLINEで色々と話ができたりしてそれはそれでとても楽しかったりするんですよね。
誘ってみたいけどきっと無理だよな、急に誘ったら嫌がられるかな、と、結果を想像だけして行動に移さなかった頃よりも格段に精神状態がスッキリ!
もちろんたまたま相手の方も都合が空いていて一緒に会えた時はそりゃぁ最高に嬉しい!
『ちゃんと聞いてみて断られればいいのか』
この感覚で行動できるようになってから本当にストレスがなくなりました。
だいたい、相手が断るか断らないかなんて、ホント、その人の都合によって決まるんだからそれを事前にあれこれこっちで考えたってわかるわけないんですよね。
実際に聞かなきゃわからないんです。
そんなこと、昔の私だって頭ではわかっていた筈なんです。
だけどやっぱり考えてばかりで怖がって試してみてなかった頃にはちゃんとわかってなかったんだな。
うん、やっぱり行動してみるって大事。
『超能力実験』は続くのでした^^
(私の超能力実験の詳しいことは→こちら)
ちょっと前にご紹介した『心のブレーキの外し方』という本で出会った『潜在意識』という存在。
その後もたくさんの本を読んでこの『潜在意識』との付き合い方を知れば知るほど、まさに小学生の時の超能力実験から導き出した私の仮説
『人は自分で決めた分の能力しか発揮できない』
の答えがどんどん見えてきたんですね。
なので私自身、自分の潜在意識を使ってたくさんの実験をしてきました。
そうやって自分の『潜在意識』に向き合えば向き合うほど、本当に人って無意識にいつも自分に対してたくさんの指令を出しているんだなぁということを実感しました。
自分の潜在意識が何を考えていて、その潜在意識にどう声をかけてあげておくか。
そこを上手くつかめれば色々なことがかなり楽になります。
そしてさらに面白いことに、このメカニズム、脳の認知の仕方っていう観点から書かれている色々な本についてもやっぱり同じようなことが書かれているんですよね。
それで今度は脳の仕組みについても色々知りたくなって本を読んだり、脳についての実験の映像を見たり、脳についても色々と勉強を始めてみたらここにも小学生の私の仮説『人は自分で決めた分の能力しか発揮できない』の答えがたくさんあったんです。
もちろんね、色々実験しましたよ、自分で。
もうね、面白すぎです。
やっぱりね、『人は自分で決めた分の能力しか発揮できない』んですよ。
あ、『発揮できない』だけで『持っていない』わけではないです。
だから
『どんなに才能を持っていても自分で決めた分の能力しか発揮できない』
ってことですね。
つまり、大事なのは
『自分の能力をどのくらいってことににするか』
っていう設定なんです。
だから、この設定を上手く変えてあげることができればいろんな問題が解決しやすいんです。
でも、これもやっぱり無意識のうちに設定しちゃってるんですね。
だからなかなか自分でも自分がどんな設定をしているのかに気がつかないし、そもそも『自分で設定している』ということ自体にも気がついていない。
なので、果たして自分が自分に対してどういう設定をしているのか。
まずはここに気がつくことがものすごい大切なんですね。
これね、そんなに特別なことじゃなくて、日常の中でみんないつも自然とやっていることなんです。
仕事中は『受付嬢』『営業マン』などの自分、家に帰ったら『奥さん』や『お母さん』『お父さん』『娘』『息子』、旧友の前では〇〇ちゃん、お店に入ったら『お客さん』とか。(なんかNHKのピタゴラスイッチにこんな歌がありましたね^^)
例えばこれも設定の一部です。
他にも『しっかり者』『甘えん坊』『三日坊主』などの設定もありますね。
で、「こうありたい自分」と自分の設定がぴったりあっている時はいいんですけど、無意識にそこがずれてしまう時ってよくあるんですよね。
例えば、ボイストレーニングなどのレッスンの時によく生徒さんにお話をするのが、
『レッスンを受けている生徒』という設定で声を出すのか
『ステージで歌っている歌い手』という設定で声を出すのかっていうこと。
確かにレッスンを受けているから、レッスン中は『生徒』っていう設定は間違いではないんですが、実際は『生徒としての声』を出したいんじゃなくて『歌い手としての声』を出したいわけですよね?なので、レッスン中でも『ステージで歌っている歌い手』に自分で設定をし直してから声を出す。
これだけでも声の出方は大きく変わります。
で、こういうシンプルな設定もあればもっともっと込み入った設定もたくさんあるんですよね。
でもこういう自分自身が無意識にしている設定に気がつくようになるとどんどん自分で自分自身に振り回されることが少なくなり、すっごく自由になります。
本当〜に面白い!
今度また、私が自分自身の無意識の設定を見つけてそれを変えた時の話をご紹介しま〜す!
お楽しみに〜♪
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前回のブログにも登場した『チビあーよ♪』→こちら
これは自分の中にいる『小さな自分』
私は常にこの『小さな自分:チビあーよ♪』と会話をしています。
『今何したい?』
『今何食べたい?』
『どの色がいい?』
『何着たい?』
『今どんな気分?』などなど…
いつからこの習慣がついたのかなぁ〜?
心理学の中にも「インナーチャイルド」っていう考え方もあるし、それこそ「潜在意識」でもあったり、ハワイの『ホ・オポノポノ』で言う所の『ウニヒピリ』であったり、本当の子供の頃の自分の記憶であったり、いろんなものが統合されたような存在なんですが、わかりやすくいうと『本当の自分』って感じでしょうか。
子供の頃、きっと小学校の低学年の頃までって、比較的自分の気分に忠実に生きていたような気がするんですよね。
いや、もちろん、思い通りにできないこともたくさんあったとは思うのだけど、その時その時に自分の中に湧いてくるいろんな感情に対していちいちジャッジしてなかったと思うんですよね?
実際にその感情を表に出せない場面だったとしてもいちいちその感情に対して評価をしなかったと思うんです。ただただ『感じてた』、それだけ。
だけど、だんだん大きくなるにつれ、社会性が身につくと同時に『あ、この考えは言わない方がいいな』とか『そんなこと考えちゃいけない』とか色々自分に対して制約をかけるようになっていく。
社会で暮らしていくにはもちろん周りとの調整は必要になるので、行動を調整すること自体は決して悪いことではないんだけど、それと同時に本来の自分の感情がどんどん置き去りにされてしまうと色々と問題が起きてくる。
『感じる』ところと『表に出すか出さないか』というところをちゃんと分けて考えた方がいいよね。
そもそも自然と感じてしまう感情に『良い・悪い』なんてなくて、『喜び』や『楽しさ』『大好き!』だけでなく『怒り』や『悲しみ』『大嫌い!』なんなら『嫉妬』なんかでさえも自由に感じていいんだよね。
だから感情自体は全部感じきる。
そしてその上でそれを表に出すか出さないかを決める。
なので『チビあーよ♪』の登場なわけです。
「今、どんな気分?」
まず聞く。そしてその出てきた気分・要望に対して今応えられることは応えてあげる。今応えてあげられないことは後で別の時に応えてあげる約束をしてちゃんと約束を守る。
現実的に応えてあげられない内容に関してはまずは話をきちんと聞いてあげる。
そして「そうかぁ〜、そう思うのか、よしよし」ってちゃんと感情を受け止めてあげる。
話をちゃんと聞いてあげた上で「今叶えてあげられなくてごめんね。でもちゃんと我慢してくれてありがとね」ってお礼を言ってちゃっんとねぎらう。
すごーくすごーく丁寧に扱う。
そして、できればなるべくなるべく『チビあーよ♪』の願いを叶えてあげる。
どんなにくだらないことでも、小さなことでも。
なぜなら今までのブログにも何度も書いたんだけど(→こちら)人それぞれの『好き嫌い・得手不得手』がきっと全員違うから。
そしてそれが全員違うからこそ世の中はうまく回るようになっていると思っているから。
『チビあーよ♪』の願いの中にそのヒントが全て隠されていると思うんですよね。
みんながそれぞれの『チビ〇〇』を大事にしてくれたらきっと世界は平和に回り出す。
なので今日も私は『チビあーよ♪』と会話をするのです。
ん?チビあーよ♪はお風呂にゆっくり入りたいらしいです。
というわけで、皆様、素敵な日曜日を!
今朝、ご近所さんを歩いていたら梅の花が咲いているのを発見!!!
もうそんな時期なんですね♪
今の家に越してくる時、家を選ぶ決め手になったのは当時満開に咲いていたお向かいさんの梅の木でした。
「毎年この花が見られるならここのお家がいい!!!」
『借景』ってやつですね。
おかげさまでそれから毎年我が家のリビングから綺麗な梅の花を堪能させていただいてます。
でも実は私、もともとそんなに特別に植物に興味がある方ではなかったので実はいろんな花の咲く時期とか、あんまりわかってなかったんですね。
梅の花も、今の家に住むようになってから、桜よりもこんなに早く、まだ寒いうちに咲くんだってことを知りました。
そんな私が昨年の今頃、むちゃくちゃ感動したことがありまして。
私の家の周りは緑が多く、季節ごとにいろんな花が咲いていてお散歩していてもとても気持ちがいいのでその日も様々な植物を色々観察しながら歩いていたんですが、ふと、桜の木に目がいきました。
まだ寒い1月の終わり、もちろん花は咲いていないですし葉っぱも全て落ちきってしまって完全に枝だけの状態。
いつもならそのまま素通りするところですが、その日はなんとなく気になって桜の枝をじぃっと見て見たら、
「ん?なんか出てる・・・?」
そばに寄ってよく見てみると
「つぼみ!?」
正確にはまだつぼみって言わないのかしら?つぼみの素?つぼみの芽?いや、やっぱりつぼみか。
枝のあちこちにまだ小さな堅ーいつぼみがたっくさん!!!
「へぇーーーーーーーーーっっっ!!!」
こんな寒い時期に、もうすでに春の花の準備が始まっているんですね!!!
すごーーーい!知らなかった!!!
桜のつぼみってもっと暖かくなって、3月ごろになって初めて出てくるのかと思ってました!
もしかして常識なのかな???
私が知らなかっただけ???
一見するとただの枝だけ、花や葉もなく、ただ静かに立っているだけに見えていた冬のサクラ、こんなに密かに、でも着実に春の準備が始まっていたんですね!
すごい!すごすぎる!!!
めちゃくちゃ感動。
何気な〜く歩いてると、普段はついつい花の咲いている木ばかりに目がいってしまってなかなかこんな発見することはなかったのですがものすご〜く大きな感動をもらいました。
よく人生も花に例えられたりしますけど、花が咲くまでの準備期間って人目を引かないですもんね。
だけどその時期がないと、花が咲かないんだよなぁ〜
全ての命に無駄な時間なんて一つもないのだ。
当たり前のことを今更ながらに大きく実感。
すごーい♪♪♪
楽しいっっっ!!!
昨日、家族の大きなイベントが終わり、ほっとひと段落。
今日はすっかりリラックス。朝からの〜んびり。
ひと休みひと休み^^
家事は全部明日に先送り^^
このところ、いろんなことがあったけど、やっぱり行き着くところ、自分自身がちゃんと自分軸に立っているかどうかが大事なんだなぁ〜と改めて実感。
『自分軸に立つ』
ちょっと前のブログ(→こちら)に書いた『チビあーよ♪』の声にきちんと耳を傾けてあげられているかどうか、ということ。
人はそれぞれ、いろんな価値観を持っているので人によって『心地良さ』『楽しさ』『正しさ』などの判断基準って全く異なる。
それぞれの人が自分にとっての一番心地よい状態に身を置いた時にその人にとっての最高なパフォーマンスが発揮できる。
↑
と、常日頃思ってはいるのですが、時々ね、その自分の『心地良さ』が社会一般の考え方と異なってることがあるんですよね。
よく考えれば当たり前なんですけど。
世の中の人全員がまるっきり全てにおいて価値観がおんなじなんていうことはありえないんだから。
だいたい一般常識なんて場所が変わればまるっきり変わってしまうものだし。
国が違えば常識は変わるし、何なら日本の中でも住んでる地域で常識って違いますよね?(確か『ケンミンショー』っていう番組、ありましたよね?)
さらに言うと業種や会社、家族によっても常識って大きく変わりますよね???
そんなこと、わかっちゃいるのだけど、時々、ふっと、あれ?なんか私が変なのかな????って一瞬ひるむ時があったりして。
で、立ち止まって考えた末にいや、やっぱり自分軸に沿っていこう、と思って行動できた時は大抵納得のいく結果に繋がるのですが、これってめちゃくちゃ勇気がいるんですよねぇ〜〜〜。
何と言っても頼りになるのは自分の感覚だけなので。
周りには全く違う意見の人もいるわけで。
で、変にその周りとの違いに気を取られて、ビビってしまったりするとあっという間に自分軸からふわ〜っと離れて行ってしまう。
何か物事がうまくいかなくなっている時、大抵じっくり自分の行動を見直してみるとこの『自分軸』から大きく離れてしまっていることが多いです。
この一年余りを振り返って、自分軸を貫けたこと、ふらついて自分軸からかけ離れてしまったこと、いろいろありました。
自分軸を貫けたことは納得のいく結果に。
自分軸からブレて離れてしまったことは納得のいかない状態に。
あはは、お見事!!!
あ、ここで大事なのは自分軸を貫けた時の結果があくまでも『納得のいく』結果だって言うこと。
『うまくいく』かどうかじゃないんですよね。
うまく行くかどうかはやってみなくちゃわからない。
だからもちろんいうまくいかないことだってあります。
でも自分軸を貫いてやってみた時はどんな結果が出ても納得できる。
失敗ですら、『そうか、これじゃダメなのか』って言う納得の材料になる。
そしたら、スッキリ次へ進めるんですよねぇ。
でも自分軸からかけ離れてしまっている時はね、結局納得がいかないんですよ。
だから、いつまでもいつまでもうじうじ考えることになる。
だから全然生産的じゃなくなるんです、思考が。
10年前、20年前に比べたらだいぶブレることは少なくなりましたが、まだ時々こうして修正が必要になります。
今回、改めていい経験をさせてもらったので、もう一度、日々どんな瞬間も細やかに『チビあーよ♪』と会話しながら自分軸で進んでいこう!と思いを新たにしたのでした。
あー、楽しい。
全ての人に『自分軸』に乾杯!^^
*第二弾 LIVE 決定いたしました!
Wonder Rainbow Factory 2nd LIVE
2018.5.20. SUN
@ライブレストラン&バー サムズアップTHUMBS UP
12:30 OPEN 13:00 START(当日先着順入場)
TICKET ¥2500(当日 ¥3000)
+1Drink & !Foodのご注文をお願いいたします!
詳細は→こちら!
今月の初めにとあることがきっかけでおよそ20年くらい会っていなかった友人と連絡がつきました。
人づてにLINEを繋げてもらって『きゃー!久しぶり!元気???』と盛り上がり、3月にぜひランチをしよう!!!という約束をして懐かしさと嬉しさで会えるのを楽しみにしていたら、昨日、その彼女からこんなメッセージが。
『ブログ、全部読ませて頂きました!
すごく良かった〜 もうワクワクです♪
中でもチビあーよ♪のお話が大好きです!!
何故なら、何を隠そう私もチビ〇〇ちゃんと日々お話ししながら生きているからなのです!
チビ〇〇ちゃんがそれを伝えて欲しい、というのでLINEしました。
今度会う時、チビあーよ♪とチビ〇〇ちゃんのお話など沢山お話ししたいです!
あ〜、3月が待ち遠しいな〜♪』
って!!!
(チビあーよ♪については→こちら)
もぉ、めちゃくちゃ嬉しかったんです!!!
こんなに長く会ってなかった友達と久々に会えるだけじゃなく、自分がブログに綴って来た内容がちょうど彼女が日々考えていることとシンクロしているなんて!!!
ブログを書いてて良かった!!!
まぎれもない自分自身で居続けようとして来て本当に良かった!!!
なんかとてつもなく大きなご褒美をもらった気分です。
実は私、今までも時々、こういうことが起こってるんです。
色々迷ったけど、やっぱり、自分自身でいることを貫こう!と勇気を出して一歩踏み出すと、その後、不思議と『思ってもなかった嬉しい出会い』があるんです。
今回みたいにずーっと連絡の取れてなかった友達と急に連絡が取れたり、ひょんな事で新しい出会いがあったり、中にはバッタリ道端で再会したこともありました。どれも本当に嬉しい出会い。宝物です。
ちゃんとね、必要な人には必要な時期に会うようにできてるんだなぁ〜っていつも思います。
そして、その再会や出会いのタイミングでいつも同じように『ちゃんと自分自身で居て良かったんだ』って答えをもらっているような気がするんです。
まさにご褒美。
はぁ〜、なんか、ホント、嬉しい。
嬉しくて泣けてくる(T_T)
今月の初めに20年ぶりくらい会っていない学生時代の同級生から実家を経由して連絡をもらいました。
連絡を取ってみると大学時代の軽音楽サークルの先輩が急逝されたとのこと。
お通夜まで少し日にちがあったこともあり、なんとか都合をつけて伺うことができました。
先輩とは卒業以来お会いして居なかったので、卒業後にどんなふうに生きてこられたのかを全く存じ上げないままお通夜に参列させて頂きました。
会場にはたくさんの方が参列されていて、その後方の席で読経を聞きながら先輩の人生に想いを馳せて居ました。
『卒業後はどんなふうに生きてこられたんだろう?幸せな人生だったらいいな』
ご家族にご挨拶に伺うと、『今日はサークルの皆さんで同窓会のように過ごされてくださいね、それが一番喜ぶと思います』との言葉をいただきました。
お清めどころへ行くとたくさんの先輩や後輩が。
学生当時はほとんどの人が長髪にスリムパンツだった時代。(あ、ほとんどが男性だったんです、うちのサークル)
みんな髪も短いし、スーツだし、すっかり落ち着いた雰囲気。久しぶりすぎて誰が誰か全くわからない。
少しずつヒントをもらいながらやっとの事で全員の答え合わせが終了。
しばし挨拶を済ませたところでみんなで場所を変えて飲むことに。
そう、まさに同窓会なんですね。
私以外にも卒業以来ずっと会えてなかった方もいらしたり、海外暮らしをしていて、今回のことで帰国された方がいらしたり。
亡くなられた先輩の思い出話や当時のサークルの思い出話、そしてみんなの近況など。
たくさんたくさん話をして帰ってきました。
なんかね、すごく驚いたんです。
人は亡くなることでこうやって人をつなげることもできるのか!!!って。
亡くなって終わりじゃないんですよね。本当に。
この日をきっかけにサークルOBの連絡網ができました。
前回のブログの彼女ともこの連絡網で繋がりました。
まさに先輩が再び繋げてくださったご縁。大切にしたいな、と思いました。
学生時代は同じバンドになることもなかったせいか、そんなにじっくりお話をしたことがある先輩ではなかったのですが、今回こうやってお悔やみにお伺いできたことも、先輩が呼んでくれたのかもしれないな、と思いました。
私達以外にもたくさんの方が弔問にこられていて、きっとこれも先輩のお人柄あってのことなんだろうな、としみじみ。
会場を出たところにご家族から故人へ向けてのメッセージが貼り出されていたのですが、メッセージの内容から、ご家族を大切にされて、またご家族からも愛され、幸せな人生だったのだな、と感じることができて嬉しかったです。
そしてそんな折、今日は今朝から俳優の大杉漣さんの訃報が。大好きな俳優さんです。
このブログで『いつ死んでもいいように生きる!』といつも言っている私ですが、改めて『自分の人生、どう生きる?』と問われているような身の引き締まった朝です。
さて、今日はどんな1日にしようか。
先輩の人生に、大杉漣さんの人生に、深く感謝するとともにご冥福を心からお祈り申しあげます。
ご存知の方も多いと思うのだけど、我が家にはテレビがありません。
いや、正確にいうとテレビ自体はあるのだけど地デジが映りません。
数年前にアナログ放送が終了した時に我が家のテレビも終了しました。
デジタルチューナー、買わなかったんです。
それまで全くテレビを見ない生活をしていたわけではないのですが、そんな、新たにデジタルチューナー買ってまでテレビって我が家に必要なのか???って思ったら、もしかして無くても困らないんじゃないの???という疑問が湧いてきて、ひとまずテレビ無しで生活してみることにしたんです。
どうしても困ったら後で買えばいいだけだしって。
たまたま我が家はスカパーに加入していたので、一応ニュースチャンネルもあるからニュースが見たければニュースチャンネル見ればいいし。っていうのもあったのも大きいかな。
でもね、テレビがなくなって最初の数年はスカパーのニュースチャンネルやいろんなチャンネルを見たりしていたのですが、だんだんとその時間も減り、今ではスカパーですらつけなくなりました。
一ヶ月間全くスイッチを入れない時もザラです。いや、むしろその方が多いかな。
で、今はこの状況にすっかり慣れ、今の自分にとってはこれがとても心地よい環境だったのですが、面白かったのはこの年末年始に実家に帰省していた時のこと。
実家にはもちろんテレビもあり、兄も帰省していたり、年末年始の特別番組などもたくさんやっているので、ほぼ一日中テレビが付けっ放しなんですね。
最初のうちは普段見ることがないのでふーんなんて色々楽しんで見ていたんですが、そのうち、ものすごーくイライラしてきたんです。
ものすごいストレス。
最初は、単純にずっと音が鳴りっぱなしなのでそれがうるさくてイライラしてるのかと思ってたので、他の家族の様子を見て、今なら消せるなっていうタイミングになったらスイッチ切ってたんですよね。
でもまた誰かが見たい番組が始まると、スイッチが入る。
で、テレビの全て、何もかもが嫌いというわけではなく、中には『面白いな』っていう番組もあったりするので自分も一緒に見てたりもするんですよね。
でね、見だしたら見だしたでスゥーッと引き込まれて見入っちゃうんです。
2日くらい経った頃かな。
ハタと気付いたらこの休みに読もうと持っていった本が全く読めてないことに気がつきまして。
『あれ?』って。
いつもの休みならもっと本を読めてるのに。
そうか、テレビ見てたからか。って。
だけどよくよく振り返って見ると、そのテレビを見ていた時間の中に本当に自分が満足して情報を受け取っていた時間ってどれだけあったんだ???って。
あ、ゼロじゃないですよ。
もちろん、見てよかった番組もあったので。
でもね、テレビを見ていた全部の時間の中で本当に自分にとって価値があったなって思えた時間って多分2〜3割くらい。
あとはね、なんとなく流れで見ちゃってたんですよね。
あー、これだ。
この『自分の意思に関係なく一方的にどんどん情報が流れ込んでくる状況』がストレスだったんだ!ということに改めて気付いた次第。
テレビがついていようがなんだろうが、構わず自分のペースで自分のやりたいこと、やれる人っていますよね?
私、ダメなんです。
ものすごい引っ張られちゃうんです。
テレビがついてなければ、自分の意思でその瞬間その瞬間を『今何しようか?』って考えられるのに、テレビがついてるだけで気がついたらなんとなく流れでぼぉーっと見続けてしまう。
しかも自分で情報を取り入れている、という自覚がないままなんとなく情報が頭の中に蓄積されていく。
なんかね、自分の時間と脳みそを乗っ取られたみたいな感じがするんです。
今のテレビ無しの生活が非常に快適なのは自分のペースで全ての瞬間を何しようか?どの情報を取り入れようか?って決定できるからだったんだ!
最初はなんとなくその時の流れでやめたみたテレビでしたが今となっては自分の生活にとってすごく大きく影響していたんだな〜と気付いた次第。
↑
あ、テレビ自体やテレビを見ることを否定しているわけじゃありませんよ、念のため。
自分が子供の頃から見てきたテレビ番組によってたくさんの恩恵を受けてきた実感もあるし、今でもとても素敵な番組があるのも知っていますし、テレビを見ててもちゃんと自分の意思で時間を上手に使われている方もたくさんいらっしゃるのは存じてますので。
あくまでも私自身の性格に合ってるか合っていないかというお話です。
むしろ、もっと自分軸がしっかりしてきたらテレビも上手に使いこなせるようになるかもしれないな、とも考えています^^
子供の頃、中学生の頃、学生の頃、成人してからも、なんか自分の感覚が「人と違う」という事に悩んでいた。
昨日、先日のブログ(→こちら)に書いた彼女とおよそ20年ぶりの再会を果たしてきました!
チビあーよ♪(→こちら)とチビ〇〇ちゃんの話とか、会ってなかった間のこととか、色々たくさんお話ししてきました。
いやぁ、なんか、感慨深いです。
お互いに今日まで本当に色々な経験をしてきて、その経験があったからこそじっくり自分自身と向き合えるようになっていて。
そんな『自分自身と向き合えるようになった今の自分』だからこそお互いに共感できることがすごくたくさんありました。
学生時代も仲は良かったけど、ここまで深くは話できてなかったんですよね。
お互いに当時はそれぞれ人には話していない悩みも抱えてたりしたし、私も当時、彼女がなんか悩みを抱えてそうな気もしながらあまりそこには触れなかった。
多分、触れられなかったんですよね。
当時の私には人の深い悩みをそこまで受け止められるキャパシティーがなかったんじゃないかな。
そして私自身、自分の悩みですら自分でうまく把握できてなかったんじゃないかと思います。
会ってなかった20年がすごく大事だったんだなと思ったし、会ってなかった20年があったからこその今日の繋がりなんだなとしみじみ。こうやって再び繋がれたことがすごく嬉しかった。
人の縁って本当に不思議です。
最近、こうやって長く会ってなかった友人と繋がれる機会がたくさんあって。
昨年も、会社員時代の友人が『どうしてるかなって気になって』って5〜6年ぶり?に連絡をくれたり、
以前の生徒さんが連絡をくれたり。
本当に嬉しい限り。
彼女と別れた帰り道、『年齢を重ねていろんな経験を重ねるって、嬉しいことなんだな』ってしみじみ。
今までの毎日に大きく感謝するとともに、改めて、ちゃんと『チビあーよ♪』の声を聞きながらさらなる一日を積み重ねていきたいな、と思いました^^
さて、チビあーよ♪、朝ごはんは何食べようか???
本日2記事め^^
お向かいのお家の梅の花が満開です^^
今朝もメジロが2羽やってきて、あちらこちらと忙しく花の蜜を吸って?回っていました。
いつもはメジロなんて見かけないのに、こうやって梅の花が咲くと必ず毎年メジロがやってきます。
梅の木以外にも花はたくさんあるのにね。
ちゃんと蜜の味に好みがあるんでしょうか。
面白いな。
そんなメジロと梅の木を見てふと思ったこと。
メジロはこうやって自分があちこちと蜜を吸うことで梅の木の受粉を手伝ってるって知ってるのかしら???
そんなことはつゆ知らず、ただただ自分の好きな味?の蜜をひたすらに吸っているだけなのかしら?
でも、多分『梅の木を受粉させてあげるために頑張らなくちゃ!』なんてことは思って無いですよね?
梅の木は梅の木で、受粉してもらいたいから蜜を作るけど、『メジロさんを育てなきゃ!!!』っては思って無いですよね???
なんかね、自然ってうまくできているなって思いました。
梅の木は自分の子孫を残したい。
↓
でも自分では受粉できない。
↓
でも美味しい蜜なら作れる!
↓
その蜜をメジロが食べにきてくれる。
↓
そのおかげで受粉ができる。
一方
メジロは動き回ることはできるから自分で交配して子孫を残すことができる。
↓
動き回って生きていくためには食料が必要。
↓
でも自分では食料は作れない。
↓
梅の花の蜜をもらう
↓
動き回って蜜を吸うことで梅の花の子孫を残す手助けになる
↓
自分は栄養を摂取できて無事子孫も残せる
面白〜い!!!!
それぞれが自分の得意なことをやることで、結果的に「自分のため」にも、「相手のため」にもなってるんですよね、ちゃんと。
梅の木が『メジロさんみたいに頑張って自分で受粉するぞ!!!』とか
メジロが『梅の木さんみたいに頑張って蜜作るぞ!!!』
とかってやり出したらおかしなことに(笑)
ちゃんとそれぞれが『違う』からこそ成り立ってるんですよね。
梅の木だらけの世の中でも、メジロだらけの世の中でも、それぞれ生きていけないんですね。
なんかね、人間もそうなんだよな、きっと。
人間同士だと種族?が一緒だからわかりにくいけど、ちゃんとそれぞれの人に『得意なこと』と『不得意なこと』がありますよね?
そして、
ちゃんと『自分の得意なことをやる』
ちゃんと『自分の苦手なことは人に頼る』
この両方のバランスがちゃんと取れてこそ、それぞれの違いを本当に生かすことに繋がるんじゃないのかな。
今は世の中が個性を尊重する方向に傾いてきていて、昔に比べると随分『自分の得意なことを伸ばそう!』っていう流れにはなってきているけど『苦手なことは人に頼ろう!』っていう教育ってあんまりされないよね。
でも、そっちもきちんとしないと、本当にそれぞれの個性を生かして活躍&共存していく社会にはならないと思うんだよなぁ〜
だからさ、自分の得意なことを見つけて活かすことはもちろんすごく大事なんだけど、もし、得意なことがなかなか見つからない時でも、そんな時はまずは自分の苦手なことを人に頼りまくることから始めてみるとちゃんと人の力になるんじゃないかな。
そんなことを思いました。
ちゃんとお互いの違いを積極的に活用できる社会にしていけたら素敵だな♪
先日のブログ(→こちら)で『テレビ見た〜い」なんて言ってたら、なんと!!!
『録画しましょうか?』なんて言ってくださった方が何人もいらして。
もうホント、嬉しい♪
結局その中のおひと方にDVDにダビングしていただくことになりました!\(^o^)/
ありがたい。
みんな優しい。。。
さて。
ちょっと前に『人と違うこと』というブログにも書いたんだけど(→こちら)
「『人との違い』に悩むこと自体が最も『人と共通する部分』だった」というあまりにもパラドクスな事実?に気がついてしまい、自分の青春時代の悩みはなんだったんだ???と、びっくりしたのですが…。
これまたよくよく考えたらさ、
そういうこと悩むのが『青春』よね。
そういう意味では私、『青春』を存分に満喫したんだなぁ〜。
なんてしみじみ。
あまりの青春っぷりに我ながら驚いてしまったわけですが、おかげさまですっかり青春時代の悩みに終わりを告げることができました。(長かったな〜)
じゃあ、青春の悩みが終わったので大人になったのかというと、感覚的にはむしろ小学生に戻ってる感じ。
限りなく毎日が楽しい。
いや、失敗したり、怒ったりすることはもちろんあるんだけど。
なんか、そんなことも面白かったり。日々を満喫中です。
そんな折、とっても面白いブログ記事を発見しました!
私は20代の頃から心理学など色々と学び出したこともあり、心理学系のことが書かれている本やブログなども今までにずいぶんたくさん読みました。
そんな中で最近出会ったこちらの記事2つ。
多岐にわたる心理学の内容をこの人なりの理論で非常〜にシンプルにまとめてあって、なおかつとってもわかりやすい!!!秀逸です。
→①こちら と
→②こちら
(ブログ内でリンクしてある参考記事も面白いです)
なんかね、すごーくふざけて書いてるんですよ(笑)
でもふざけながらも相当核心ついてると思う。
説明の仕方がものすごく上手。そして面白い。
まだ20代なんですって。
すごいなぁ〜。
前回のブログ(→こちら)にも書いたのだけど、私、もしも時間とお金が有り余っていて存分に好きなことをやっていていいって言われても、どうやら今と同じように歌もレッスンも両方やりたいみたいなんですよね。
でね、じゃあなんでそんなに私はレッスンが好きなのかなぁ〜って考えたんですよ。
私、本当にみんな一人一人の声と歌が宝物だと思っていて。
だからレッスンを受けた生徒さんがだんだんとその『自分の声・自分の歌』を取り戻していくのを見るのがたまらなく嬉しい。
私ね、もともとそんなに「ずば抜けて圧倒的な歌のうまさ」を持っていたわけではないので、今までの間に自分の声、歌に対してかなりの試行錯誤をして来ているんですよね。
「歌いたい」と思いながらも自信のなかった時代も長かったし、使える声域が狭くて歌えない歌がたくさんあったし、歌いたい歌が思うように歌えなくて悪戦苦闘したり、せっかく練習で上手く歌えていた歌が本番で緊張のあまり思うように歌えなくてどん底まで落ち込んだり。
だからこそ、本当にあーでもないこーでもないと散々研究して来ました。
もちろんレッスンにも通ったりもして、そのおかげでできるようになったこともたくさんあったけど、レッスンに通ってもできるようにならないこともたくさんあった。
例えば、『力を抜いて』って言われるんだけど、その力がどうやったら抜けるのかがわからない。
先生に聞いても『抜けばいいんだよ』しか言われない。
だから、とにかく自分でも研究しまくりました。そして歌に使えそうなコトならなんでも勉強しました。
呼吸や発声の仕組みはもちろん、発音の仕組みや体の仕組み、心の仕組み、脳の認知や指令の仕組みなどなど。
そしたら力が入ってしまうのには様々な原因が絡んでいることがわかった。
その原因を一つづつ丁寧に取り除けば確実に力が抜けることもわかった。
『力』に限らず、うまくいかないことには必ずと言っていいほど明らかな原因があるんですよね。
だからその原因を特定してそれが取り除ければいい。そしてその取り除き方にもコツがある。
私はそれをぜーんぶ自分で実験して来たんですね。
さらに同時に20年以上にわたって本当にたくさんの生徒さんと一緒にレッスンをさせて来てもらったおかげで、経験もたくさん積んでくることができました。
今、私がとてもとても幸せな気分で歌が歌えているのはそういう様々な過程を経て来た結果です。
20代の頃はこんなに幸せに歌えてなかったな。
でね、だからこそ確信してるんです。
みんな自分自身の声に、歌にちゃんと出会うことができるって。
そして本当の自分の歌を歌えた時は驚くほど幸せなんです。
そんな瞬間をみんなにも味わってもらいたい。
思うように歌えない時代があって、試行錯誤して来た私だからこそ伝えられることがあります。
↑
これが、私の『才能』なんだと思う。
そう、まさに「足りないものがあったからこそ得ることができた『才能』」
人生っておもしろい^^
実は数日前に心に決めたことがあって。
なので今日はそれを宣言。
ま、宣言って言っても誰かにするわけでもなく、自分に対してするんですけどね。
私ね、どうやら、小学生の時にしていた超能力実験でたてた仮説をどうも人生かけて検証しているみたいで。
(詳しくは↓)
その仮説はこちら↓
『周りの環境が変わってしまうという恐怖心を乗り越えられたら、もしかしたら誰もが皆、超能力を使えるんじゃないのか。』
とは言っても、別に「スプーン曲げる」とか「手を使わずに物を動かす」とか「透視する」とかそういうことには今は興味がないのでそういうことではなく。
今は一見無理だと思えることでも「そのために環境が変わってしまっても受け入れる!」と心底腹をくくればその夢は叶うんじゃないかと。
実際、無意識にそう思いながら今まで突き進んできたのだと思います。
とにかく自分が『これ!』と思う方向へ選択し続けて、その結果周りの環境も何度も何度も大きく変化してきました。
おそらく大学を卒業して社会に出るところあたりからその実験は加速したように思います。
最初の会社に就職すると同時に一人暮らしを始め、その後音楽の仕事を目指して会社を辞め、音楽の仕事に着いてからも仕事でもプライベートでもとにかく色々。(多すぎて長くなるので今は省略)
おかげでたくさんの別れもあったけどたくさんの出会いもあって。
そして今、本当に周りに大好きな人がたくさんいて。
そして何より自分の本当にやりたいことができている状況。
10年前、20年前には想像もできなかった状況に身を置いています。
(↑これ、何度も書いてるな^^; だって本当にそうなんだもーん)
で、自分の中の新たな可能性を発揮していく時に、環境が変わってしまう恐怖心と同時にすごく邪魔になるのが自分自身の『固定観念』『既成概念』。
「普通、こうするでしょ」
「こうやるのが当たり前」
↑こういう感覚が出てきたらまずはとにかく疑ってかかる。一度はブチ壊してみる。
そんな風にしながら今までやってきました。
と、いうより「やってきてたみたい」っていうのが正確かな。
なんかね、無意識だったんですよ。
いや、そういう風にしている自覚はあったんだけど、私はそういう性格なのかな?なんでかな?くらいの感じ。
でもね、気付いちゃったんです。
性格じゃなくて、それがチビあーよ♪(チビあーよ♪については→こちら)の一番の願いだったんだってことに。
『周りの環境が変わってしまうという恐怖心を乗り越えられたら、もしかしたら誰もが皆、超能力を使えるんじゃないのか。』
↑
この仮説の答えが知りたい!!!
何よりこれがチビあーよ♪の一番の望みらしいんです。
なので、これからは私、残りの人生をかけてこの実験に邁進していきます!
っていうかこれまでも無意識にはやってきてるからやることはおんなじなんだけど、「無意識」だったのを「ちゃんと自覚して」やっていくことに決めました!
これがね、私の宣言。
誰にいうってわけでもないんだけどね、腹をくくったのでした。
さて、どこまでいけるかな^^
さて、先日、このブログで『チビあーよ♪』の究極の願い、『子供の頃にたてた仮説を検証したい』と言う願いを叶えることに邁進する!と宣言したわけなんですが(詳しくは→『宣言!』)
いやぁ、面白い。
なんかね、違うんですよ、自分の心持ち(?)が。
なんていうんだろう、すごい安心感?というか。
常に本音で居られる。
だからか、何か出来事が起こったときにめちゃくちゃ落ち着いてるんですよね、自分が。
そして嫌なことにはきちんと『NO』って言える。
いや、今までも結構嫌なことにはちゃんと『NO』っていうようにはしてたんだけど、どこかですごい勇気が必要だったというか、なんか肩に力入っていたというか。
でも、なんか、今は『私はこう思う』とか『あ、それは嫌なんですよね』ってサラッて言えるというか。
何だろう、そこにあんまり緊張感が伴わない。
多分前は、自分が考えていることをそのまま包み隠さず話したり『NO』って言った結果起こる出来事をめちゃくちゃ恐れていて、だからこそ、『NO』っていうときにはめちゃくちゃ覚悟が必要だったんですよね。
結局、相手の人に、周りの人にどう思われるかをものすごく気にしてたんだろうな。
心理学的には、「自分自身で自分のことを受け入れてあげること」「自分自身に『OK』を出してあげること」ってすごく重要とされているんだけど、きっと『チビあーよ♪』の願いを完全に聞き入れますよ!って言う宣言をしたことで、結果、自分に究極に『OK』を出せたのかもしれない。
でね、そしたら、他の人が自分と全く違う意見でも全然気にならないのですよ。
いや、もともと「一人一人意見や考え方が違って当たり前」っては思ってたんだけど、なんて言うんだろう、やっぱり全く違う意見の人を前にすると、「自分が間違ってるのか?いや?でもやっぱり違うよなぁ?」とか、何となくいちいち自分にフィードバックしてたんだな。
でも、今はそのフィードバックがないの。全然。
すごーく単純に「へー!全然違うんだね!面白い!!!」って思えるようになった。
面白いなぁ〜。
自分自身のことを完全に受け入れられると他人のことも完全に受け入れられるんだな。
↑
これ、心理学的な感覚として理解はしていたんですけど、今回、ものすごーく腑に落ちた!!!
なんかこれからもまだまだ発見ありそうです!
『宣言!』が予想以上に自分の中のいろんなことに影響を与えてる。
いやぁ、ますます人生、面白くなってきましたよ♪^^
ゴールデンウィークがあけた瞬間から、なんだかずーっとドタバタしていてなかなかブログまでたどり着けなかった^^;
昨日まででやっとひと段落、今日は久々にのんびり。
さてさて、ゴールデンウィークのお片づけ大会ですが…。
だいぶ進みました!\(^o^)/
そしてまだまだ残ってる!!!(笑)
でもおかげで、『家族それぞれの生活の方向性が変わってきたことによって以前は必要だったけど今は必要なくなったもの』がものすごく明確になりました。
大量のものがリサイクルショップに行きました。そしてまだ持っていけてないものもたくさん。
しばらくはライブ続きで落ち着かないので、ライブが終わったら第二弾のお片づけに取り掛かりたいと思います。
でね。
今回お片づけしてみてわかったこと。
なんか、私、やるんなら徹底的に集中してやらないと嫌なんだなぁ〜って。
過去にもね、何度か大片づけ大会したことあるんですよ。一人で。
でね、そういうのって決まって家族が数日間家を空けて自分一人で居られる時なんです。
だいたい3日間くらいかな。
そうするとね、全部自分のペースでできるじゃないですか。
だからご飯の時間も気にしないでひたすらずーっっっと片付けして居られる。
お腹空いたら適当に菓子パンか何か食べてまたひたすら片付ける。
下手したらそのまま夜中じゅう片付けて3時とか4時までやってたりする。
やり出したら止まらなくなっちゃうんだな。
だから『よし、がっつり心置き無く片付けられるぞ』って思えないと片付けられないの。
途中で止めるのがものすごいストレスなんですね。
なので今回も片付けを始める前に家族に宣言。
「この間はご飯は作りません!お腹空いたらコンビニに買いに行きます!」
(二日目の夜はさすがにちゃんとしたもの食べたくなって簡単なものを作りました^^;)
おかげで集中できて気分もスッキリ!
ちょっと時間足りなくて全部は片付けられなかたけど結構気が済んだ^^
↑
だからね、思ったんですよ。
私、自分のこと『片付けられない人』だと思ってたんだけど、そうじゃなくて『片付けるんなら徹底してやらないと気が済まない人』なだけなのか!!!って。
だから普段あまり時間がないとやる気になれず、手をつけない→どんどん散らかる。みたいな。
で、今まで自分のことを『片付けられない人→ダメな自分』って思ってたから、散らかってる部屋を見て
『散らかってるのは自分が片付けられないせいだ』
『自分がダメな人だからいけないんだ』
『ちゃんと片付けなきゃいけないのにうまくできない』
『自分がちゃんと部屋を片付けられる人なら散らからないのに』
って無意識に自分を責めてたんですよね。
で、ますます片付けるの嫌になっちゃうの。
だけど、ここしばらくの『やりたいことをやってやりたくないことはやらない!!!』の一環で、徹底して片付けないで居たことでこの『自分責め』を止めることができたんですね。
だって部屋が片付かないのは『自分がダメ』なんじゃなくて『部屋を片付けたい気分じゃない』だけだから。
そうすることでいつのまにか『片付けない自分』にOKを出してあげれてたみたいです。
そしたらゴールデンウィークという長い休みを前にして猛烈に部屋を片付けたくなってきた!
↓
集中して片付ける
↓
気分スッキリ!
だからね、自分への評価を変えることにしたんです。
今までの
『片付けられない人』という評価から
『片付けるなら集中してみっちりやるのが好きな人』に^^
そう、片付けられないんじゃないんですよ。
やるなら集中して片付けたい人なだけなんです。
なんなら『集中して片付けるのが好きなタイプ』
↑
ここまでくるともはや『片付けが好きな人』の部類(笑)
スタイルの問題なんだ!って思ったんですよね。
『ちょこちょここまめ型』なのか『一気集中型』なのか
で、こういうことにしてみたら、次はいつ片付け週間作ろうかな♪
って楽しみにすらなってくる。
でね、さらに面白いことに、そういう心持ちにしてみたら日常の中でもちょこちょこ片付けたりするんですよ、この一週間。
ちょっとした片付けが苦じゃないの!!!
いやぁ、面白い!!!
自分の捉え方って大事だな。そしてつくづく『自分を責めない』って大事なんだと実感。
実りの多いゴールデンウィークでした♪
あ!明日はトレッサ横浜でA-yo♪Delightsミニライブ!
私も2曲ほど歌いまーす!
よかったらぜひ遊びにいらしてくださいね♪
詳しくは→こちら
最近、よく思うこと。
「音楽と料理ってよく似てる」
音楽にもプロの音楽家もいるし、プロとしてではなく趣味の音楽家がいますよね?
料理にもプロの料理人もいれば、趣味や家庭での料理人(家族のご飯作る人)がいますよね?
でね、やっぱり外でお金出して食事を食べるときはそれなりのクオリティーを求めるじゃないですか。
美味しさはもちろん、いつ行っても一定の質?をきちんと保ってくれていることとかも含めて。
だけど、じゃあ、家で食べる「お母さん」や「お父さん」のご飯に価値がないかっていうとそんなことないんですよね。
プロみたいなレベルじゃないかもしれないけど(たまにプロみたいな方もいらっしゃいますが^^;)
野菜とか素材の形がバラバラかもしれないけど、
日によって出来上がりにムラがあるかもしれないけど、
だからと言ってその料理に価値が無いわけじゃない。
家族や大好きな人のことを思いながら作ってくれた愛情いっぱいの料理には、外食とはまた違った美味しさ、価値がありますよね???
音楽も同じだと思うんです。
プロではなく、趣味で音楽をされている方の中には、発表会などでステージに立つ時についつい
『あまり上手じゃなくて申し訳ない』
というような気分で立たれる方、よくいらっしゃるんですが、それね、
その『申し訳ない』という気分で演奏することの方がよっぽど『申し訳ない』!!!!!!!
お家でお料理出された時に『プロじゃなくてゴメンなさい』みたいな気持ちで作って出されて嬉しいですか?
私だったら、たとえプロみたいなクオリティーじゃなくても、『口に合うかはわからないけれど、私なりに美味しいと思うものを愛情いっぱいで作ったからよかったら食べてね♪』って出して欲しいなぁ〜
まだまだ練習中でできないこともあるかもしれない。
緊張して間違っちゃうこともあるかもしれない。
プロみたいに上手に演奏できないかもしれない。
だけど、『愛情』はかけてあげられますよね???
『耳に合うかはわからないけど、私なりに愛情いっぱいで演奏するから良かったら聴いてね♪』
↑
これ、すごく大事な感覚だと思っていて。
っていうか、これ、プロでも大事ですよね???
どんなに上手な料理でもそこに『愛』がなければきっと美味しくないもんなぁ〜
音楽だって同じよね。
そう
『口に合うか合わないか』
『耳に合うか合わないか』
こればっかりはね、それぞれの好みがあるからしょうがないんです。
でも
『申し訳ない』
という気持ちを
『愛情いっぱいかけるから良かったら食べてね(聴いてね)』
には変えることできますよね?
そしてそんな自分が愛情かけて出したものを相手がもし食べて(聴いて)くれたら、本当に心底嬉しい♪
そしたら湧いてくる気持ちは『食べてくれて(聴いてくれて)ありがとう!!!』になる。
もし『申し訳ない』という気持ちで提供したら『こんなの食べさせて(聴かせて)ごめんね』って気持ちになりませんか???
せっかくなら『ごめんね』じゃなくて『ありがとう!』でステージを降りてみるってどうかしら?
こんなこと、思いながら日々レッスンしてます^^
昨日の妄想ブログ(→こちら)が楽しすぎて、思わず自分で何回も何回も読み直してしまっているあーよ♪です^^
いやぁ、楽しい♪♪♪
読んでるとね、自然と顔がにやけちゃうの(笑)
あ、他の皆さんが読んで面白いかどうかは謎です。
保証はしません(笑)
『私自身が』楽しいの。
なんだろう???
多分、チビあーよ♪のやってみたいことを存分に書いてあげたから、チビあーよ♪が喜んでるんだろうな。
実は私、普段からこういう妄想をいっぱいしていて^^
先日のワンレフ(Wonder Rainbow Factory)のライブで話していた『夏フェス』の話もそんな妄想の一つ。
いや、実際に夏フェスに出られるのかどうかは別にして、想像したら楽しいじゃないですか!
ワンレフが夏フェスに出て歌ってるのって^^
めちゃくちゃ楽しそう!!!
やりたいっっ!!!
滋賀に出るのか?伊丹に出るのか?????
うっかり伊丹に出ることになっても面白いし(笑)
普段横浜でしかライブやってないのに、なぜか伊丹の夏フェスとかに出てたらめちゃくちゃ面白くないですか???
あ、ちなみにどっちも申し込んでないんですけどね(笑)
でも、妄想するだけタダだから(笑)
どうせするなら楽しい妄想を♪^^
そうだ!そういえば!!!
あれは確か2〜3年前のこと。
MOTION BLUE YOKOHAMAでゴスペルのコンサートをやりたいなぁ〜なんて思ったことがあって、でも実際にやるとなると、かなりお金もかかるし、実現は難しそうだなぁ〜なんて思ったのですが、それこそ妄想するだけタダだから、MOTION BLUEのホームページの写真見ながらニヤニヤ妄想してたんですよね。
もしやるならこの曲やって、こんな風に登場して…なんて^^
そしたらなんと!!!
その日の午後ですよ!!!
そんなことはすっかり忘れてカフェでのんびりお茶してたら、ヤマハのお店から電話がかかってきて、
本当にMOTION BLUE YOKOHAMAでライブする話が舞い込んできたんですよ!!!
(やりましたよ!もちろん!→こちらのページの下の方に書いてあります)
すごくないですか!?????
マジで。
あの時は本当に驚いた。
電話口で
「秋葉先生、MOTION BLUE YOKOHAMAってご存知ですか???」
って聞かれた時、あまりにびっくりして、誰かその日の私の考えを盗聴したんじゃないかと思わず周りを見回したくらい(笑)
いやぁ、でもねぇ、ほんと、世の中びっくりすることが起こるものだとつくづく思いましたよ。
『事実は小説よりも奇なり』←マジです。
だからね、どうせするなら楽しい妄想を♪
本当は他にもいっぱいいっぱい妄想してるんだけど^^
まだ内緒っ♪
本日、私、休日でした。
朝、家族を送り出した後、お洗濯をしながらここ最近気づいたことをノートにまとめます。
これ、私がよくやると〜っっっても大事な作業。
特に誰に見せるわけでもなく、とにかく自分の頭?心?に浮かんだことをどんどん文章にしていきます。
時には嬉しいことだったり、時には怒りだったり、落ち込みだったり。
そのまま出てくる感情に任せて色々と書くことも。
今日書いたのはここ数日で『気づいたこと』
日曜日に、今まで起こっていた色々な出来事に対して、『こういうことだったのか!!!』というような気づきがあったのでそのことについてまとめていました。
心で感じたり気づいたことを、頭の中に置いておくだけでなく文章に書いていくと、さらにどんどん『気づき』が進んでいきます。
ひと通り浮かんだことを全部残さず書き終え、その後大好きな義妹と色々ラインでやりとりしたり、諸々の家事などもひと段落したところで時計を見るとちょうどお昼頃。
もう一度洗濯機を回そうかな???と思ったのですが、チビあーよ♪(←心の中の小さな自分)に『今どうしたい???』と聞いたら『昼寝したい!』と(笑)
まあ、言われてみれば確かに眠いかも(笑)
ここのところ寝不足気味だったしな。
と、いうわけで、チビあーよ♪のご要望通り昼寝をすることに。
体の素直な状態に任せるために目覚ましもかけずに寝ることにしました。
1時間半くらいした頃にものすごーくスッキリ目が覚めた!!!
超元気!エネルギーチャージが無事完了した模様^^
起きてきてまたチビあーよ♪に質問。
『何したい?』
『んー、ブログ書きたいかな』
『OK!』
というわけで思い浮かんだテーマに沿ってブログを書き出したのですが、途中でPCの調子が悪くなってきてちっとも進まない。反応がめちゃくちゃ悪くなってきて、思ってもみないところが削除されちゃったり、変換されるのにめちゃくちゃ時間がかかったり。
こりゃダメだ。
というわけで、PCは一旦電源を落として休ませることに。
その間自分も休憩。
実は私、10年ほど前、人とのコミュニケーションがとても怖かった時期があって、今日はその時のことについてブログを書いていたのですが、書いているうちに記憶が蘇ってきて、当時の怖かった感情などがブワーッと出てきたんですよね。
ちょうど、そんなタイミングで休憩したのでそのままその感情が溢れてきました。
こういう時は抑えない。
無理に止めない。
出てきた感情は全て外へ出させてあげることが大事なので込み上げるまま泣かせてあげることに。
結構泣きました。
いやぁ、驚いたな。
まだこんなに残っていたんだ。
もうとっくに癒えたと思っていたので驚きました。
あ、ちなみにおかげさまで当時の怖さは今はまったく持っておりません!
今は大好きな人が周りにたくさん!!!幸せな毎日です^^
(そんなに人が怖かった私がどうやってここまできたのかは日を改めていつかお話ししますね)
泣きたいだけ泣かせてあげているうちにすっかり忘れていた当時の色々な記憶が蘇ってきたのですが、10年後の今だから気づくことがたくさんあって。
そして、ちょうど今朝ノートに書いていたこととリンクしていることもたくさんあって。
また新たな気づきがありました。
そして出た結論。
あんなに人が怖かったあの時代でも、私はとっても大きな愛に包まれていたんだな、ということ。
当時の私にはそれを感じられる余裕はなかったんだけどね。
10年経った今だからわかること。
そしてあの時期があったからこそ、今のこの幸せな自分にまでたどり着くことができたのだとも思う。
10年前の自分に会えたら言ってあげたいな。
『大丈夫、10年後のあなたは毎日心の底から大笑いしてるから。今は存分に泣きなさい』って。
10年前の自分に。
その後の10年間の自分に。
そして当時から見守り続けてくれているたくさんの愛に。
ありがとう。
今日はまさに心のリフレッシュ。そんな休日でした!
超リフレッシュしたから夜ご飯も張り切って作れたのでした♪\(^o^)/
めっちゃ元気に一日を終えましたよ〜♪
さーて、明日からまた存分に楽しむぞぉ〜っっっ!!!
以前にこのブログでも書いたのだけど、(詳しくは『宣言!』『宣言、その後』)
私は小学校時代にやっていた超能力実験(その時の話はこちら→『超能力少女?』)の結果によってたてた仮説、
『周りの環境が変わってしまうかも?という恐怖心さえ乗り越えれば誰もが必ず超能力を使えるはずだ!』
についてどうやら人生かけて検証しているみたいで^^
くだらないでしょ?(笑)
大の大人が超能力実験ってオイ!(笑)
でもね、相当本気です^^
っていうか、もはや私の人生の目的はそこだから(笑)
いや、でも真面目な話、超能力って言い方するとどうしても「スプーン曲げる」とか「テレパシー」とか、怪しげな話になっちゃうけど、そういうんじゃなくて(小学校の時やりたかったのはそういうのだったけど^^;)、要は
『本当にやりたいことをやりきって人生を終える』
ってことが究極の人間の『望み』なんじゃないかと思っていて、
もしかしたら、どんな人もその『望み』を叶えられる『超能力』を持っているんじゃないか?
って思ってるんですよね。
でもさ、あくまでも「仮説」だからさ、ちゃんと検証&立証しないとね。
で、自分なりに散々いろんな実験をしてきて今の所出ている結論は
1、自分のチビ〇〇の声をきちんとキャッチして(チビ〇〇については→『チビあーよ♪』)
2、「常識」や「社会的通念」『自分に対しての思い込み』などの固定観念を外して
3、願いが叶った時に周りの環境が変わってしまうという恐怖心を超えさえすれば
望みは叶えられる!
みたい^^
まだ道半ばですけどね^^
でもこれが、まじでなかなか面白い!!!
もうね、私、とにかくこの3項目のためならめちゃくちゃチャレンジします。
っていうかチャレンジしてきた…みたい(←気づくの遅っ! 笑)
今の私の毎日はこの実験結果で成り立っています。
でもさ、これが簡単そうでいてなかなか手ごわいわけですよ。
だからね、もうとにかく日々ちっちゃなことからひたすらチャレンジチャレンジ。
最初は1のチビあーよ♪の声を聞くだけでもひと苦労。
意外とね、自分の本心って自分でもわからないもので^^;
後から自分で気がついた時に愕然としたこともたくさん(笑)
2とか3も相当手ごわい。
だけど、この間の『宣言!』の時に気づいて以来、つくづく自分の人生はこのチャレンジをし続けているんだな〜と改めて実感したので、なんかこれから、そんなことも一つずつ書いていってみようかな〜なんて思っております。
ってか今まで書いてきたいろんな私のチャレンジやら気づきやらも、要は結局、全部、この実験だったんだけどね^^;
あれ???
…ってことは今まで通りってことか???
まぁいいか。(なんか、今日言いたかったんだよ)
昨日のブログ(→こちら)にも書いたのですが、自分の本音って意外と自分でも気づいてないことって結構あって。
上手に隠してるんですよね、自分で。
だから気がついた時はめちゃくちゃびっくりします。
私が初めて自分の『隠れた本音』を発見したのは20代、心理学の勉強を始めてしばらくしてからのこと。
当時、私はいろんなオーディションを受けまくっていたのですが、いつもね、かならず本番で間違えるんですよ、歌。
で、悔しいから、次こそは!!!って思ってめちゃくちゃ練習して、よし!今度こそは!!!って挑むのに必ず間違えるの。
今から考えると、間違えようがなんだろうが、オーディションなんて受かる時は受かるから、当時、オーディションに受からなかった理由は別のところにあるんだろうけど、それでも本番で思うように自分の力を発揮できないことに相当落ち込んで悩んでいました。
ちょうどそんな頃、心理学を教わっていた先生との勉強の時間に
『今ここの椅子にお姉さんが座っていたらなんていう言葉をかける???』
と聞かれたことがあって。(私には4歳年上の姉がいます)
内心、なんでそんなことを聞くんだろう???と思いながら、うーん、って考えて
「『あなたとは別の人生を生きるから』って言います」
って答えたんですね、私。
そしたら、「なんでそんなこと言うの?」って聞くんですよ、先生が。
内心で「は???なんで?ってあんたが聞いたからでしょうが!」ってツッコミを入れながらも、なんでそんなこと聞かれてるのか全くわからない私。
先生「普通さ、そんなことわざわざ言わないんだよね」
私「???」
先生「だって、お姉さんとあなたの人生が別々だなんてものすごく当たり前のことでしょ?」
私「???」
先生「そんな当たり前のことをわざわざ言わなきゃならないってところに何かヒントがあるんだよ」
私「???」
↑
この時点では何を言われているのか全く理解できてないんですね、私。
え?みんなお姉さんいたらそうやって思うんじゃないの???って思ってる。
先生「じゃあさ、お兄さんがここに座ってたらなんて言う???」(6歳年上の兄もいるんです)
私「(へ?今度は兄???)・・・あ、『元気???』って・・・。」
先生「なんでお兄さんには『別の人生生きるから』って言わないの???」
私「・・・」
先生「それにお姉さんにも『元気?』でいいじゃない?」
私「いや、それはないです。」
先生「なんで???」
この時点でその日の勉強会は終了。
もうね、頭が大混乱。
なんで?なんで、姉と兄にそれぞれ違う言葉をかけるんだ???
って言うかそれが普通じゃないのか???
でも、ああやって言われたってことは、みんなはそう言う風に思わないのか???
男と女の違い???
なんで???
でも確かに言われてみれば姉と私の人生は違くて当たり前なのか。
んじゃなんで私はわざわざ姉にああやって言うんだ???
別の人生じゃないと思ってるのか???
なんでおんなじだと思ってるんだ???
って言うかもうすでに別々の人生歩んでるよね?
姉は歌やってないし。
歌は私しかやってないし・・・。
私しかやってない・・・?
『!』
あれ?なんか引っかかったぞ。
歌だけか?違うの。
あれ?歌だけが唯一違うものなのか???
唯一の違いが『歌』???
『あああああーーーーーーーーーっっっっっ!!!』
(長くなったので次回に続きます)
昨日の記事の続きです。(先に読んでね→『隠れた本音』)
心理学の勉強会で指摘された姉への気持ちについてぐるぐる考えてるうちにあることに気づいた私。
私ね、ずーーーーっとお姉ちゃんっ子だったんです。
姉のことが大好きで、姉のあとばっかりくっついて歩いてたし姉の真似ばっかりしていたんです。
姉がやることはなんでも真似する。
姉はとっても器用な人で、お料理、お菓子作り、編み物、裁縫、エレクトーン、何をやらせても上手い。
そして頭も良くて成績もいい。運動神経も良くて中学のバレー部ではキャプテンも務めてたほど。
美人、スタイルもいい。
↑
やだ、今改めて書き出してみたらすごいな。
なんなんだ、あの人は。
でね、なんでも真似するんだけど何一つかなわないんですよ。
全然追いつかないの。
姉がセーターを上手に編んでる頃、私はひょろひょろのマフラーを編んでて、しかも最後まで出来上がらない。
姉がなんでも料理ができる頃、私ができたのはサラダ作る事くらい。
エレクトーンも姉が取った級までは全然追いつかずにやめた。
姉は地区内で1番の高校に進学、私は2番の高校
姉はバレー部キャプテン、私はバスケ部補欠。
身長も姉の方が2センチ高いのになぜか体重は私の方が2kg重い!!!おいっっっ!!!
↑
これも改めて書き出してみたら見事だな(笑)
いやぁ、よくグレなかったな、私。エラい。
部活、姉がバレー部なのにバスケ部に入っているあたりにささやかな抵抗の跡が見受けられる(笑)
いや、今から考えるとね、単純な能力の差だけじゃないこともたくさんあったこともわかるんですよ。
そもそも、姉と私は4歳離れてるんですけど子供の頃の4歳差ってものすごく大きいですからね。
小学生の姉がやっていることを幼稚園生の私が真似しても同じようにできるはずもなく。
お裁縫とか編み物だって5〜6年生の姉と1〜2年生の私でできることに差があるのなんて当たり前。
そして母のお手伝いでさえ、危険の伴う包丁や火のそばのお手伝いは姉、幼い私のお手伝いはお皿並べたり、すでに切ってある野菜を盛り付けてサラダをつくったり。そもそもやらせてもらえてる経験が違うんですよね。
でも子供の私にそんなことがわかるはずもなく、いつも姉よりできない自分を見て『自分はできない人なんだ』って自然と思い込んでいったんですね。(あれ?身長と体重の謎は残ったまんまだぞ???)
で、そもそもできないと思い込んでるから必死で努力しようと言う気にもならない
→ますますできない
→姉と同じ年齢になっても当時の姉と同じレベルのことができない
→やっぱり私は姉よりできないんだと言う思いをさらに強く持っていく。
と言う悪循環。
いやぁ、見事です。
拗ねてたな、私。かなり拗ねてましたよ。
でね、そんな中、唯一姉がやってなくて私だけがやっていたのが『歌』だったんです。
高校時代にひょんな事でバンドを組んで、誰もやる人がいなかったヴォーカルをたまたまやることになったのが始まり。
初めて姉と比べられることのないものを手にいれた私はめちゃくちゃ夢中になりました。
そしてその頃からそれまで追っかけていた姉の真似をすることをやめ、むしろ姉とは反対のことばかりを選んでいく人生が始まったのです。
(なんか予想以上に長くなっちゃった^^; またまた続きます)
なんか予想以上に壮大なストーリー(いや、そこまでじゃない)になってしまったけど前回までの続きです。
(先に読んでね→『隠れた本音』『隠れた本音 その2』)
『何をやっても姉にかなわない自分』
そう思っていた私が唯一自分を認めてあげることができたもの。
それが『歌』でした。
(でもね、これ、今から考えたら『たまたま』よね?)
(姉より勝ってるんじゃないの。姉はやってなかっただけだから(笑))
(本当は姉の方が格段に上手かったりして^^; あー怖い。)
(歌、聴いたことないの、姉の。どうしよう、めちゃくちゃ上手かったりして。立ち上がれるかな、私^^;)
バンドを始めて『歌』に出会い、初めて自分の価値?を見出した私はどんどん歌にのめり込んでいきました。
そして同時に姉とは反対のこと、別のことばかり選ぶようになっていきました。
姉が短大へ進学すれば私は四年制の大学へ。
姉が大企業へ就職すれば私は小さなベンチャー企業へ。
姉がしていたような女子大生、OLっぽい格好が嫌いでボロボロのデニムを履いて革ジャン着てたり。
ことごとく姉とは違うことを選ぶようになっていってたんですね。
『歌』を見つけたことで初めて『姉とは違う自分』が認められたような気がしたんですね。
(気がしただけですよ。今から考えたら反対のもの選びまくってる時点でただコンプレックスに振り回されてるだけだし^^;)
だから、私にとって『歌』は『最後の砦』だったんですよね。
絶対に無くしたら困るもの。
何をやっても姉よりできない自分が唯一の自分の存在価値を感じられるもの。
↑
ここまできて、なんでオーディションなどの本番で自分が必ず間違えるのかの謎が解けたんです!!!
(さぁ、やっとここで結論です!みんな、ついてきてる???意味がわからない人は『隠れた本音』から読んでね)
結果が出ちゃダメだったんです。
100パーセントの力を出し切っちゃダメだったの。
もし100パーセントの力を出し切って、その状態でオーディションに落ちたら、唯一の私の存在価値がなくなっちゃうような気がしてたんですね。
オーディションに落ちることよりも、そのことの方がはるかに怖かったんです。
だから、無意識にいつも間違える。
間違えていれば、もしオーディションに落ちても「100パーセントの力を発揮できてなかったからしょうがないよな」って『言い訳』ができるんです。
落ちたのは、私の能力のせいじゃない。力を発揮できなかったせいだからって。
だから、100パーセントの力、絶対に発揮しちゃいけなかったんです。
無意識にね、守ってくれてたんです。それこそ潜在意識が。
私自身が完全に打ちのめされないように。
私が認識していた表の意識では「なんでいつも間違えるんだろう???間違えないで全力を発揮したい!」って思っていたのに、実は本音は「落ちても傷つかないように100パーセントの力は発揮しちゃダメ!」だったんですね。
↑
これに気がついた時は愕然としました。
まさか自分が止めていたなんて・・・。
これが私の『隠れた本音』との初対面です。
驚きでしょ???
いやぁ、ほんと、驚きましたよ。
さて、じゃあ、私はこの『隠れた本音』とどうやって向き合ったのか。
それはまた次回。(まだ続くんかい!)
先に読んでね↓
さてさて、長年姉に対する強烈なコンプレックスを抱え、『歌』が唯一の自分の存在価値であり、だからこそ、その『歌』を完全否定されないために無意識にわざと100パーセントの力を発揮できないように自分でしていたという『隠れた本音』に気づいた私。
さて、どうするか。
でもね、これ、一度気づくと結構早いんですよ。
この頃はすでに心理学を少し勉強してきているので、子供が成長してくる過程でどのように自分自身のことを認識していくのか、という心の仕組みも少しは分かっている。
子供は皆「自分が経験したこと」をもとに物事を認識するんですね。でも、幼い子供の理解力で、しかも自分の立場から経験したことだけを基準に認識しているので、実際は「事実」ではなく「思い込み」によって世の中を認識する。
そしてそこで出来上がった『思い込み』を『思い込み』だと気がつかないまま大人になっていくと。
なので、私自身が持っている認識も『事実』ではなく単なる『思い込み』である可能性が高い。
まずはそこから検証を始めました。
私は『歌だけが自分の存在価値』だと思っているけど、それは事実なのか???
というか、そもそも、本当に姉と私はそんなに元々の能力に差があったのか???
一つ一つ、冷静に検証していきます。
【編み物、裁縫】小学生1〜2年生と5〜6年生で差があって当たり前
【料理】お手伝いの内容 姉→包丁や火を使うこと 私→すでに切ってある野菜を盛り付けるだけ、皿洗い
【勉強】姉→おそらく、予習復習などちゃんとしていたのではないかな。 私→予習復習大嫌い、宿題しかやらない(おいっ!)
【エレクトーン】姉→多分ちゃんと練習してた 私→全く練習せず(こらっ!)
【スポーツ】これはもしかしたら元々運動神経や運動センスに差があったかもしれない。でも単純に私自身が効果的な鍛え方を知らなかっただけの可能性も大(詳しくは→『バスケットボール』『バスケットボール2』)
【体型】→姉はちゃんとダイエットしてたのかも。そういえば姉がお菓子食べてる姿ってあまり見たことないな。 私→お菓子大好き♪毎日たくさん食べてた^^;(もしもーし!!!)
ん???
なんかさ、本当に能力に差があったのってもしかしたらスポーツだけかもよ???
いや、それですら怪しいよな。
『隠れた本音 その2』でも書いたけど、姉は私より4年先輩なだけだったんじゃないの???
本来の能力って実はそんなに差はなかったのかも???
単純に『ちゃんと経験を積んでた人』と『経験がなかった人』っていうだけのことなんじゃない???
それを勝手に私が『能力差』だと思い込んで、拗ねて、ふてくされて経験を積むことを放棄しちゃってただけなんじゃないの???
いやん。
↑
この時、初めて私自身の『間違った思い込み』に気がついたんですね。
でもまてよ???
・・・ってことは!!!
もしかして、私もきちんと経験を積みさえすればできるようになることがたくさんあるんじゃないの!?
↑
この『気づき』はめちゃくちゃ大きかったです。
万が一、100パーセントの実力を出して落ちたとしても、私自身の価値は無くならないし、むしろ、ちゃんと100パーセント出し切って、それでも足りないところがあるならそこから頑張って練習して力をつければいいのか。っていうかそれしかできないか。
↑
なんだ。
すごく当たり前なところに落ち着いた。
ふぅ〜。
こうやってこの頃から、やっと『全力でぶつかる→できなかったらひたすら練習』という流れが出来上がったのでした。
もっと早く気づいてればねぇ〜・・・
ま、仕方ないか。
4回にわたってお届けしました『隠れた本音シリーズ』いかがでしたでしょうか?(笑)
いやぁ、面白かったな、私が。
なんか改めて書き出してみて、改めて自分自身の『心との向き合いの歴史』が明確になったわ〜
なんか今までこのブログには思いつくままに単発でいろんな過去の出来事を書いたりしてきたんだけど、これを機に少し自分の今までのことを整理してみようかな。なんか面白そう^^
20代の頃のこの出来事は本当に大きくて、その後の私の人生の進め方にとても大きく影響しています。
そう『進め方』。
『生き方』じゃないんだよな、『進め方』なの。
「自分の心の仕組みに気がつくことさえできれば自分のことって変えることができるんだ!!!」って実感したんですよね。すごく大きな発見。
ロールプレイングゲーム?やってるみたいな感覚。
何かにぶち当たった!→アイテムを探す→なんとかしてそれを手に入れる→ゲット!みたいな。
(ダメだ、実際にゲームやったことないから例え方のボキャブラリーがなさすぎる(笑))
この『技』を使えばなりたい自分になれるかも???
ってことは、もしかしてこれって超能力ってことじゃないの?????
私がこれにハマらないわけがない。
この頃から何か問題にぶち当たると、「私の本音は???」「どんな思い込みが邪魔をしてるんだ???」と自分の心の中を探す癖がつきました。
そして、この出来事をきっかけに本番で間違える確率はぐんっと減ったものの、まだまだステージではどうしても緊張してしまう自分がいたんですよね。
次回はそんなステージでの緊張と向き合った時のお話、お届けしまーす!!!
やばい、超楽しくなってきたっ♪♪♪
さて、前回のブログで予告した「ステージでの緊張と向き合ったお話」
ステージや本番、緊張しちゃうっって方、結構いらっしゃいますよね???
私も今でこそ、ステージは楽しくて楽しくてしょうがないのですが、もちろん最初っからそうだったわけではなく、前回のブログでも書いた20代の頃はどうしても本番で体が硬くなってしまうので、一体どうやったら緊張しないで伸び伸び歌えるんだろう???と日々研究しておりました。
まずは一人でひたすら練習!
『隠れた本音シリーズ』で書いたように、この時はすでに「私もきちんと経験を積めばできるようになるんだ!」と思うようになっていたのでとにかくまずは何度も何度も練習。
最後は少し広いスタジオを借りて、本番のステージを想定して一人ゲネプロとかよくやってました。
なのに!なのに!
本番で硬くなっちゃうの!
まるで体中の関節からギシギシ音が聞こえてくるんじゃないかってほどの固まりっぷり。
一人でスタジオで歌った時はあんなに伸び伸び歌えてたのに!!!
悔しくて悔しくて、散々考えて、ある時ふと思いついた。
一人なら思い切りできる。でも本番で大勢の前に出ちゃうと緊張しちゃうんだから、練習の時に誰かにお客さんになってもらえばいいんじゃないの???
そうと決まれば話は早い。
早速後輩にお願いして「お客さん」になってもらいました。
さあ、いざスタート!!!
・・・。
固まってるーーーーーーーーーっっっっっ!!!!!!!(><;)
もうね、歌い始めてすぐ自覚。
もうあっという間に固まりましたよ。
いやんなっちゃう。お客さん一人だけなのに(TT)
撃沈。_| ̄|○
歌い終わった私に後輩が色々感想を言ってくれるんだけど、もう何にも耳に入りません。
たった一人のお客さんにも固まりまくってしまった自分が情けなくて悔しくて。
後輩にお礼を言って帰ってもらい、一人反省会。
ここで役に立ったのが『隠れた本音シリーズ』で体得した自分の本音を探す作業。
私の心にどんな思いがあるんだろう???
お客さんがいる時といない時で私の心はいったい何が違うんだ???
そしたらね、見えてきたんですよ!心の声が!!!
またまた長くなったので続きます。
(なんか連載って楽しいっっ!癖になるわ♪)
前回からの連載の途中ですが、どうしても今書きたいことが浮かんじゃったので先にそちらを書くことに。
以前このブログで書いたこの記事(→『人生の秘密?その3』)の出来事で、今まで何気なく当たり前のように謝っていた場面が、実は本来謝るべき場面ではなく、『ありがとう』を伝える場面だったんじゃないの???
と気づいてから自分が『ごめんなさい』とか『すみません』と言いそうになる度に、いや、ちょっと待てよ?これ、本当に謝る場面なのか???もしかして『ありがとうなんじゃないの???』といちいち確認をするようになりました。
そしたらなんと!!!
自分が思わず『ごめんなさい』と言ってしましそうになるうちの10回のうち本当に謝罪するべき場面は1〜2回だけだった!!!
すごい驚き!!!
ほとんどはさ、『ありがとう』に替えられたのよ!!!
そして、中には『ありがとう』ですらない場面もたくさんあった!!!
6割→『ありがとう』、2割→どちらでもない、2割→『ごめんなさい』っていう感じ?
いやぁ、驚いた。
どんだけ無意識に謝ってたんだ、私。
とはいえ、最初はものすごい勇気がいるんですよね、謝らないのって。
なんか失礼かな?とか、なんだこいつ?って思われるかな?とか、結構怖かった。
だけど、何度も何度も勇気を出して『ごめんなさい』を『ありがとう』に替えてみたり、場面によってはどちらも言わないでいてみたら驚いたことにその方が断然コミュニケーションがスムーズ!!!
人との間にわだかまりが残らないの!!!ものすごくスッキリ人と付き合える!
だから気持ちいい!!!
すごいよ、これ、本当に。
もうビックリ。
で、そうなってみてから気がついたことが2つ。
まず1つ目。
『ごめんなさい』ってさ、相手に許しを乞う言葉よね。
『私が悪かったと思ってます。悪いのは私ってわかってます。だからもう責めないでください。』って。
だから、自分に完全に非がある時は、『自分の非を認めています』っていう意思表示になるからもちろん謝罪するのは大切なんだけど、状況的に自分に非がないときに謝っちゃうのって、『このことで私を責めてこないでください』っていう防御反応になっちゃうのよね。
で、これって、つまり、相手のことを『あなた、私のこと責めるよね?』っていう前提で捉えてますよっていうメッセージになっちゃうんだなって。(あ、もちろん言っている本人にはその気はないんだけど。結果的にっていう話)
だからさ、例えば相手を誘った場面とかだと謝られた方もそんなつもりで誘ったりお願いしたりしたわけじゃないから、謝られちゃうと、『あ、ごめん、気軽に誘っただけなのにそんな風に思われちゃうなら誘って悪かったんだな』って思って『あ、いや、こちらこそごめん』って謝るっていうとっても残念なスパイラルに入ってしまう。
なんかさ、元々は楽しく誘ってくれたはずなのに、最終的に申し訳ない気持ちにさせちゃうんだよね???
これって誘う誘わないの場面だけじゃなく、いろんな場面で結構こうなりがちで。
私はずっと相手の人にこんな風に思わせてたんだな〜って気がついた。
(それでも懲りずに私を誘ってくれてたみんな、ありがとう!!!(TT))
だから、勇気を持って無意識に『ごめんなさい』と言ってしまうのをやめるようになってからの方が断然人との付き合いが気持ちよくなった!!!
そして2つめ
本来自分に非がない場面でも無意識に『ごめんなさい』『すみません』って言い続けることで、自分自身に対して『私は申し訳ない存在だ』っていう自己暗示がかかっちゃうんだなって。
心理学の考え方では自分に対する声がけってとっても重要とされていて、だからこそ私もいつもチビあーよ♪の声をちゃんと聞いてあげるようにしているのだけど、それにもかかわらずどんな場面でも謝ってばかりいるとチビあーよ♪に対して『あなたは人に謝るべき存在なのよ=そのままの自分はダメだ』っていうメッセージを送り続けることになっちゃうんだな、と。
これはダメでしょ、絶対に。
チビあーよ♪には一番伸び伸びしててもらわなきゃいけないのに!!!
じゃなきゃ超能力が使えないじゃないか!!!(あ、超能力については『宣言、さらにその後』をお読みください)
いやぁ、危なかった。
でね、こうやってちゃんと今は謝るときかどうか?って考えるようになってからの方が謝るときもすごく潔く謝れるようになった。多分チビあーよ♪が本当に納得してる状態で謝るからだろうな。
面白いよね。
まぁそんなわけで、自分が人を誘った時とかでも変に謝られたりすると『そこ!謝るとこじゃない!』とめちゃくちゃ突っ込んでしまうようになってしまいました^^; あはは。
私の周りで突っ込まれた人多数(笑)
だって謝られない方が気持ちいいんだも〜ん^^
昨日の追記^^
あ、でも追記なので先に「『謝る』について考える」から読んでね。
と、言うわけで、私の周りの人で私に『そこ、謝るとこじゃない!』って突っ込まれてる人がたくさん発生してるんですが(笑)
いや、最終的にはさ。謝るか謝らないかは本人の自由だからさ。本当はどっちでもいいわけですよ。そんなの。
私に指図されることじゃないわけ。余計な御世話。
だけど、私がついつい突っ込んでしまうのは、単純に私がそうして欲しいからなんだな。
チビあーよ♪が言うわけですよ。
「ここで謝られるのってなんか気持ち悪い!」って。
相手に申し訳なく思ってもらいたくて誘ったりお願いしたり、はたまたいろんな行動をしたわけではないのに、そういう場面で謝られてしまうとね、なんだかさみしくなっちゃうんだな。
いや、悲しくなっちゃうのかな。
なんかね、一緒に楽しくいたいのに、『ごめんね』とか『すみません』とか言われると、せっかく楽しかった気持ちが「しゅん」ってなっちゃってつまんないの!!!
そう、つまらない。
違うもん!謝らせようと思ってやったんじゃないもん!謝って欲しいんじゃないもん!!!
一緒に楽しくやりたいだけだもんっっ!!!って。(子供かっ!)(子供だ。子供なんだよ。)
寂しいんだよぉ〜〜〜〜〜!!!本当に。謝られちゃうのって。
だからね、ついつい言ってしまうんですよ。
そこ、謝るところじゃない!って。
チビあーよ♪が言うわけですよ、私に。
『そういう風に付き合いたいんじゃないってちゃんと伝えて!!!』って。
まぁ、言って見ればただの『わがまま』です^^;
あはは。ごめんちゃい。(←ここは謝るところ???)
でもね、私、そういう風に人と付き合いたいんだなぁ〜って改めて実感。
みんな、付き合ってくれてありがとね♪
心から感謝。m(_ _)m(←あ!やっぱり『ありがとう』のところか!!!)
さてさて、やっと連載の続きです^^
(先に読んでね→『緊張と向き合ったお話』)
まだ20代の頃、ライブ本番でどうしても緊張してしまう私は、その対策として、一人の後輩にお客さんがわりに自分のリハーサルを見てもらいながら歌ってみたのです。そしたら、なんとそれだけで緊張で体が固まってギクシャク!
いや、それでも意地でなんとか歌いきったから、はたから見たらそこまで固まってるようには見えないかも。
でも当の本人からしてみたら、てんでダメな訳ですよ。
一人で歌ってる時の2割くらいしか出せてないの。
一体、これは私のどんな本音、思い込みが邪魔をしてるんだろう???
後輩の帰ったスタジオでがっくりと落ち込みながら一人考えていました。
一人で歌ってる時と、後輩がいた時と何が違ったんだ???
もう歌ってる時の頭の中がぜんぜん違う!!!
一人の時はさ、歌の世界の中にすっかり入ってたんですよ。
だけど、後輩が来てからは頭の中全部その後輩!!!
歌の世界観なんてまるっきりどこかへ行ってしまったわけです。
なんで?なんでそうなっちゃったの???
『本番でもないのにそんなに本気になっちゃって、バカみたい』
その時、こんな声が聞こえて来ました。
ん???
『プロでもないくせにその気になっちゃって、恥ずかしい』
え???
なに???なんだ?この声???
それは私が勝手に想像していた後輩の心の声。
実際の後輩の声じゃありません、あくまでも私が勝手に想像していた心の声です。
そう、私、歌ってる間、ずーっと、後輩がこう言うふうに思うんじゃないかって想像しながら歌ってたんですよね。
だからね、警戒するわけですよ。
で、バカにされないように、バカにされないようにって歌ってたわけ。
そりゃ集中力もなくなるわけだ。
歌の世界どころじゃなくなるわな。
そうか!それで固まっちゃったのか!!!
でもまてよ?
『プロでもないくせに』って思うってことはプロだったら本気でリハーサルやっていいのか???
頭の中でいろんなプロのアーティストのリハーサル映像が思い浮かびます。
よくメイキング映像とかでリハーサル風景が流れたりしますよね?
その時、なぜか私の頭に浮かんだのが矢沢永吉さん。
あ、別にファンなわけではないんですけどね、なんか、ふっと浮かんだの。
ちょうどテレビでドキュメントかなんか見たのかもしれない。
矢沢永吉が本気でリハーサルやってるの見て『バカみたい』って思うのか???
いや、思わないよな。
多分、その迫力に『すげー!!!』って思うよな。
あれ?じゃあ、私もプロだったら本気のリハーサルしていいわけ???
『うん。していい。』
そうか、そうなんだ。
『プロだったら本気でリハーサルしててもバカみたいじゃないもん』
そうか〜。
・・・。
あれ???
え?じゃあ、矢沢さんはプロだから本気のリハーサルなの???
彼がアマチュアの時は本気じゃないリハーサル、してたんだろうか???
いや、多分、彼のことだから、アマチュア時代から本気のリハーサル、してたよな。
あれ?あれれれ???
んーーーー!!!なんか見えて来た!!!!!
またまた長くなっちゃったので続きます^^
なんと!!!
昨日こちらのブログ(→『決めちゃった!!!』)で告知させていただいたあーよ♪初のトークライブ、早速お申し込みをいただきました!!!
もうね、嬉しすぎ (TT)
ありがとうございますっっ!!!
昨日は久しぶりのチャレンジに興奮したのかなぜか夜中3時に目が覚めて眠れなくなってしまい、仕方がないのでそのままフライヤー制作^^
フライヤー制作も3回目となるとだいぶ慣れてきました。
ジャン!!!
(っっって一回貼り付けたのだけど、ただいま諸々修正中!
またできたらおしらせしまーす!!!^^)
えへへ、どうかしら???
が、しかし!!!
夕方になって、フライヤー発注するぞ〜♪♪♪と意気込んだもののなんだかうまく注文できず (TT)
めちゃくちゃテンションだだ下がりのままちょっと町内会のご用事でご近所まで届け物。
今年はね、当番が回ってきて、なんだか色々役割があるのですよ。
でもね、こんなこと言っては申し訳ないんだけど、ちょっとめんどくさいじゃないですか?そういう業務って。
少なくともあんまりワクワクはしない。
テンションも下がっちゃってるし、ちょっとめんどくさいなぁ〜、でもみんなで毎年順番だししょうがないな、なんて思いながらお届けに上がったのですが。
今日届け物をしたお宅は私のさらに上の取りまとめのお役目をされている方。
いつもいろんな回覧物とかを我が家に届けてくださったりしているのですが、直接お会いしたことはなかったんですよね。
で、お届け物した時に娘さんが出ていらしたのだけど(多分私より年上だと思われる)
もう!ものすごーーーーーく笑顔が素敵な方だったの!!!!!
めちゃくちゃ気持ちいい!!!
一気にキュンッッ!!!
胸を鷲掴みにされてしまいました。
お届け物をお渡しして、「初めまして〜」とか「よろしくお願いします〜」とか簡単な挨拶をして帰ってきたのですが、帰り道の私が超元気!!!
なんならスキップしそうなくらい(笑)
なんだかめちゃくちゃ嬉しくなっちゃって、思わず『この方が取りまとめなら、町内会の仕事頑張ります!!!』って思っちゃった(笑)
いやぁ、ものすごくびっくりした。
テンションめっちゃ下がってたのに。
超やる気満々で帰ってきたよ、私(笑)
すごいパワーだ。
しかもものすごーく気持ちいい空気感!!!
ちょっと挨拶交わしただけでこんなに人を元気にさせてしまうなんて。
これ、作り笑顔じゃ絶対無理ですよね。
内側からにじみ出てきてたからこそのパワー。
きっととっても気持ちよく日々を過ごされてる方なんだろうな。
なんかそんな感じがして、思わずまたぜひお会いしたい!!!って思っちゃいました^^
それにしても、笑顔ひとつでこんなに人の気分って変わるのか。
なんか改めてびっくり。
やっぱり、私も日々ちゃんとご機嫌でいられるようにしよぉ〜っと♪
さて、先日、トークライブの開催を決断してからというもの、(詳しくは→『決めちゃった!!!』)どうやら本当に私の中の小さな自分、『チビあーよ♪』のご機嫌が治ったようで後から後からやる気やアイデアが湧いてくる。
面白いなぁ〜、なんかね、まるで詰まりが取れたかのよう。
いや、本当に詰まってたんだな、多分。
自分の中(チビあーよ♪)の「やってみたい!」の声を聞いてあげてなかったことで出口がふさがれて、その他のいろんな「やってみたい」が出てこられなくなっちゃってたんだな、ってものすごく実感してます。
『感情』に関しては、ひとつ蓋をするとそれ以外の感情が出てこなくなっちゃうのはわかってたから、楽しい感情だけじゃなくて、『怒り』『悲しみ』『拗ね』『嫉妬』でもなんでも、とにかく生まれてくる感情は全て意識してきちんと外へ出してあげる、ということをしていたのですが、『やってみたい!!!』もおんなじだったんだな。
いやぁ、めちゃくちゃ実感中〜。
『やりたい』を叶えるって大事。
それにしても。
相当やりたかったみたい、トークライブ(笑)
だいたいさ、レッスンしててもライブやってても、伝えたいことが多すぎて話が止まらないわけ(笑)
あんまり話してるとレッスンもできなくなっちゃうし、歌も歌えなくなっちゃうから頑張って話を切り上げるんだけどさ、でもやっぱり伝えたいことがまだまだあるのーーーーーーっっっ!!!
ってなって、だからブログを書いてるのに、それでもまだ止まらない(笑)
あとさ、ブログの文章では伝えきれないことってやっぱりあるんですよね。
そして、さすがに公の場では話しにくいこととか^^;
でも、いろんなチャレンジをたくさんしてきてみて、たくさんの自分の思い込みを外してみて、そしてたくさんの生徒さんと向き合ってレッスンしてきたことで発見してきたことがたくさんたくさんあって。
おかげで、今とっても毎日楽しい私がいて。
やっぱりそんなことをもっとみんなに伝えたい!!!
つまり自分なりの『超能力実験』(詳しくは→『宣言!』)の研究発表をしたいんだな、と思いました。
(この『超能力実験』って、もっとわかりやすい言葉にできないかしら、毎度毎度説明しないとややこしくて^^;)
なのでね、トークライブでは私なりの「楽しい日々へのたどり着き方」みたいなこと、お話できそうです。
よかったら是非ぜひ遊びにきてくださいね!!!
あーよ♪トークライブ
2018.8.5.SUN
OPEN 12:45 START 13:00 定員22名
CHARGE ¥2000(+1Drink の注文をお願いします)
ブルーライン『三ツ沢下町』より徒歩1分
東急東横線「反町」駅より徒歩10分
(その他詳細はこちらのブログ内→『決めちゃった!!!』のインフォメーションをご覧ください)
お申し込みはこちら→お問い合わせフォームより(希望席数、ご自身の連絡先を入れて送信してください。私からの返信にてご予約確定とさせていただきます)
お待ちしてまーす!!!
私たちが日々暮らしてく上で、一瞬一瞬はまさに選択の連続で。
過去にして来たこの一つ一つの小さな選択の積み重ねが今の自分を作っているし、今この瞬間の選択の積み重ねが未来の自分を作っていく、と、私は思っていて。
なので、とにかくどんな小さなことでも自分が「能動的に」選択したいと思っているのだけど
ここ数年の「お片付け」で、選択の際の『助詞』が非常に重要なんだな、ということが身に染みた。
『これでいい』 なのか 『これがいい』 なのか。
結局、あまり使っていなくて手放した物の多くは
『これでいいか』
『これでもいいか』
『これならいいか』
で買った物たち。
『これがいい!』って買った物たちは大抵時間が経ってもお気に入り。
そして、買い物だけでなく、普段の行動の一つ一つの選択の場面でもそれはおんなじで。
今日来てく洋服を選ぶ時
持っていくハンカチを選ぶ時
お昼に食べるものを選ぶ時
今、口にするものを選ぶ時
そしてもちろん人生や仕事などの場面でも。
『これでいい』で選んでると『これでいい未来』が
『これがいい』で選んでると『これがいい未来』がやってくる。
面白い。
『これがいい』は『選択』だけど
『これでいい』は『妥協』だもんね
『選択した未来』か『妥協した未来か』
この差はでかい。
この『助詞』にこだわって物事を選ぶようになってから、格段にご機嫌な時間が増えた。
なかなか100パーセントとはいかないけどね。
じわじわと精度を上げております^^
本日2記事目(笑)
以前私のゴスペルクラスにいたんだけど、旦那さんの転勤で遠くへ越してしまったことをきっかけに退会された生徒さん。
彼女はその後一児の母となり、今でも時々その子育ての日々をお知らせ?がてらよくLINEをくれるのだけど、今日、その彼女とLINEで会話しながら発見したことがあって。
彼女と、「子供の頃は『親』って『なんでも知ってる人たち』だと思ってたけど、こうやって親になってみると実は『子育ての新人』だったって知るよね」って話になって。
つくづくそうだよな、って。
私は3人兄弟の末っ子なのですが、その時でさえ私の親は『3人目の子供を育てるのは初体験』なワケで。
『3人の子供を育てる親としては新人よね』という話になり。
そしたらさ、あれ???っって。
ってことはいつまでたっても新人じゃんね?って
子育てに限らず、誰もが『この年齢のこの日を生きるのは初めて』なんだからさ、全員毎日『新人じゃんね?』って気がついた!!!!!
すごくない???
毎日毎瞬『新人』なの。人生のその日の新人。
そりゃ色々失敗もするよなって。
だって『新人だもの』
相田みつをさん、『にんげんだもの』って言ってたけど。
新人だもの。
そりゃ色々悩むし迷うし失敗するし、時々成功もするし。
なーーーーーーんだ!!!
一気に気が楽になった。
そうだよ、新人なんだよ。
いーじゃん、いっぱい悩んでいっぱいチャレンジしていっぱい失敗していっぱい成功していこ〜っっ!!!
〇〇〇ちゃん!いつもLINEありがとね!
こうやってね、いろんなことに気づくから、人と話すの楽しくてやめられない!!!
↑
そんな『お話大好き』な、あーよ♪のトークライブは→こちら!
私が大事にしていることの一つに『気を済ます』っていうのがあって。
つまり、『気が済んだ』っていう状況を作る。
多分これは、私の『明日死んでもいいように生きる』に起因しているんだと思うんだけど。
『やってみたい』と思ったことはできる限りやる。
だから誰かに『聞いてみたい』と思ったこともどんどん聞く。
『やってみたいんだけどな』『聞いてみたいんだけどな』と思ってることって、実際にやってみるまで、聞いてみるまで心の中でかなりのエネルギーを消耗するのよね。
『もしやってみたらどうなんだろう?』『それでもし大丈夫だったら???』『でももしダメだったら???』『聞いてみればわかるんだよなぁ』『でももし聞いてダメだったら?』『そんなこと聞いてバカかって思われたら?』『でももしかして聞いてみて大丈夫だったら???』…頭の中のおしゃべりが止まらない。
そうすると、ここを考えることにものすごくエネルギー費やされちゃうから、心というか気持ち?自分の行動力など格段に動きが悪くなる。
そう、PCやスマホの中でなんかのアプリがずーーーーっっと動き続けてるみたいな感じ。
そこにエネルギーをとられて全体の動きが悪くなる。
だから一つずつ『やってみたい』『聞いてみたい』を片付ける。
ひとつずつひとつずつ。
ちっちゃなことからひとつずつ。
ちっちゃなことからコツコツと。(…ん?)
アメブロへのお引越しもそんな中の一つ。
よく私が読んでいるいろんな方のブログ、アメブロの方が多いのと、一番は過去の記事がぜーんぶ表示される&自動的に整理されるのが便利でいいなぁ〜と思ったんだけどね。
というわけで実行してみたものの、なんだかイマイチすっきりしない。
なんかこれは違うかも。
寝るときも目が覚めてもなんだか引っかかる。
というわけで引越し取りやめ。
↑
でも一度『やってみた』からね、ひとつ気は済んでるのですよ。
これは大きいのだ。
だから気持ち的にはスッキリ!!
しかも。
一度引っ越してみたから引越しのための諸々の下準備はできたし。
ブログを引っ越すためにしなきゃいけない作業がよくわかった。
だから次はいつでも簡単に引っ越せる。
今回はなんか時期じゃなかったのかも。
もしかしたらそのうちまた引っ越したい!と思うかもしれないし、思わないかもしれないし。
いずれにしろ、今回ひとつ『気を済ませた』ことはすごく大きい。
そしてやってみたことで『経験』も手に入れた。
うん。満足。
私、ここ6〜7年、めちゃくちゃ髪型に悩んでたんですよねぇ〜
なんか年齢とともにだんだん髪質が変わってきたりして、以前と同じ髪型が似合わなくなってきて。
どうしたらいいのかしら???と色々迷走しました。
パーマかけてみたり、短くしてみたり前髪作ってみたり。
でもさぁ〜、なんか気に入らないの、全然(T_T)
髪型気に入らないのってほんとストレスじゃないですか。
毎日出かける準備しててもなんだかテンションが下がる。
せっかくお気に入りの洋服着ても、ちっとも楽しくない。
ちょうど去年の秋頃。初めてのワンレフのライブの直前、どうしても髪型が気に入らないことに我慢がきかなくなってきた!!!
これはなんとかしなくては!
で、それまでも美容師さんに相談はしてたんだけど、それまでの相談の仕方ってこんな感じ。
「パーマかけてみようかなと思って」
「前髪作ってみようかな」
「髪短くしてみようかと思って」
↑
でさ、これって、私の本心じゃないよな?ってことに気がついた。
パーマがかけたいんじゃなくて、前髪を作りたいんじゃなくて、短くしたいんじゃないの!
髪質が変わっちゃって髪型が決まらないから、仕方なく
「パーマかければ解決するのかな?」
「前髪作れば解決するのかな?」
「短くしたら解決するのかな?」って思ってるだけなんだよな。
え?じゃあ、私の本心は???
もし髪質とか何にも問題なく好きな髪型できるって言われたらどうしたい???
ストレートのロングヘアーがいい!
前髪いらない!!!
でもさ、なんだかこのシンプルな髪型が決まらなくなっちゃったから今まで悩んでたんじゃんね???
そうだ!美容師さんへの相談の仕方を変えてみよう!
この悩みを洗いざらいぶちまければ良いのだ!
なんか、今まで相談してるようで、実は本心を言ってなかったことにも気がついた。
ちょっと恥ずかしいけど、全部ぶちまける!
心に決めて美容室へ。
「今日はどうしますか???」
「あの…ガッツリ相談したいんですけどいいですか???」
「へ??? あ、もちろん!ガッツリ相談に乗りますよ!^^」
というわけでガッツリ相談に乗ってもらいました。
・髪質が変わって、年齢も上がって、ここ数年ずっと髪型が決まらなくて悩んでること。
・悩んだ挙句色々試したんだけどどれも気に入らないこと。
(ここでそれぞれの髪型の時の自分の写真をみてもらって何が気に入らないのかを説明)
そしてそして一番大事なこと。
『本当は、もし可能なら、前髪なしのロングのストレートにしたいんです!!!』
↑
この本音を言うのと、歴代の写真を見せるのにめちゃくちゃ勇気がいったんですよぉ〜〜〜〜!!!
歴代の写真まで見せて迷惑かな?とか、そんなこの髪質でロングのストレートとか無理に決まってんだろって思われるかな?とかめっちゃ色々考えた(汗)
でもさ、もう最後の手段って感じ。マジで。
もういいや!って。変な奴だと思われてもそれで気に入った髪型になるならそれでいいや!って思って勇気を持って言ってみた。
そしたらね。
「え?ロングのストレートなら簡単にできますよ???」って。
拍子抜け(笑)
で、なぜ今それがうまく決まらないのか、どうすれば解決できるかなど、細かく教えてくれました!!!
・年齢以前に、そもそも私の髪質は、かなり細くてコシがないので元々ぺちゃんこになりやすい。
・加えて、頭蓋骨の形が一般的な人に比べて縦に細長い。
・だから、一般的な人が横へ張っている部分の頭蓋骨がないから余計にぺちゃんこに見える。
・普通にワンレングスのロングにしちゃうと、どうしても頭頂部のボリュームがなくなって貧相に見える。
↑だそうだ!!!
で、「普通は頭頂部の横に出てしまうボリュームを抑える方向に工夫するのが一般的だから、一般的な発想で髪型決めようとすると余計にマイナスになってしまうんですよ」って。
「まとめ髪の仕方とか、よく雑誌とかにトップにボリューム出してって書いてあるでしょ?秋葉さんあれやると逆効果だからね」って。
へーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっ!!!!!!
知らなかったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっ!!!
うわぁ、聞いてみて、相談してみてよかった!!!
私。まとめ髪もすごく苦手だったんだけど、うまくいかないわけがひとつ解決!!!
謎が解けたぜ!
と言うわけで、ちゃんとカットの仕方を工夫すればペッチャンコにならないでストレートのロングにできますよ♪
と言ってもらって、晴れて望み通りの髪型に^^
髪をまとめる時のコツも教えてもらった♪
いやぁ、聞いてみるもんですね。
自分の頭蓋骨の形が一般的じゃない、とか絶対分からなかったし、雑誌に乗ってるアドバイスを聞いちゃいけないなんてまるで思いもしなかったわ。
さすが、プロ。
なんだ、もっと早くちゃんと聞いてみればよかったんだな。
ダメで元々でもきちんと「本当はこうしたいと思ってる」って言ってみるのってやっぱり大事♪
そして、私からすると、相当思い切ってした相談なんだけど、美容師さんにしてみたら、あ、なんだ、そんなこと???っていうレベルだったみたいで(笑)
あはは、なんだったんだ、私のあの意気込みは(笑)
まぁ、でもそんなもんよね、きっと。
本人にとっては大きな壁のように感じても、はたから見たらなんてことないなんてことだらけなんだろうな…。
ま、そんなわけで、なんか悩んでることあったら、とっととプロに聞いたほうがいいんだな、というお話でした^^。
今日、ネットでたまたま見た記事に『願い事を一つだけ叶えてもらえるとしたら何を願う?』みたいなことが書いてあって。
自分で『うーん、何にしようかな〜???』なんて考えながら、目の前にいた娘にも聞いてみた。
そしたら
「『全ての願いを叶えてもらう』を叶えてもらう!」
ですと!!!
「すごい!!!それいいなぁ〜!!!」
なんて感心してたら、
次の瞬間
娘「あ〜、でも全部叶っちゃったらつまんないんだよな〜」
だって!!!
達観???
いや、でも。
そうなんだよな、って思い出した。
全てが全て、最初から叶っちゃってたらきっとつまんないんだよな。
その時点でなんの願い事も湧かない人生だもんね。
上手くいかないことがあって、それを攻略してできるようになったり、解決して行くその過程や達成感が楽しいんじゃんね???
そうだったそうだった。
忘れてた。
ちょうど一つ、思うようにいかなくて悩んでいたことがあり、なんとなく気が重くなってたことがあったのだけど、そのこと(攻略することの楽しさ)思い出したら俄然やる気が出てきたっっ!
よし!!!
さぁて、どう攻略しようかな♪
ここ数日、お盆でレッスンがお休みということもあり、私も連休。
でもレッスンはお休みでもやらなきゃいけないお仕事は細々とあったり、例によって部屋のお片づけしようか、などと思っていたのだけど、ここ数日ドタバタしてて何だか疲れ気味でちっともエンジンがかからない。
ちょっとコーヒー飲んでゆっくりしてからやろうかな。
↓
そうだ、しばらく読んでないブログがあったからそれ読もう。それ読んでからやろうかな。
↓
なんか眠くなってきたな、朝早かったし少し寝ようかな。寝て起きたらやろう。
(朝から頑張ってお弁当は作った^^)
↓
お腹すいたな、お昼にしようかな。お昼終わったらやろう。
↓
ちょっと気になってリビングだけ掃除機をかける。これおわったらやろう。
↓
食後のコーヒーまだだったな、コーヒー飲んだらやろう。
↓
さっき読みかけのブログ読んで、そのあとにやろう。
↓
なんかまた眠くなって来たな。
ここのところ寝不足続きだったしな。
少し寝ようっと。
↓
午後4時
↓
あーもうこんな時間!
もーーーー!今日は何もやる気しないっ!!!
↓
もういいや、今日はゴロゴロDAYということにしよう!
・・・。
↑↑↑
決めるの遅いっ!!!
遅すぎるっっ!!!!!
いや、たまにはさ、ゴロゴロする日も作った方がいいという考え方なので、別に一日ゴロゴロしてもいいんだけどさ、なんかあれやらなきゃ、これやらなきゃな〜って思いながらゴロゴロしてたからさ、いまいちスッキリしてないの!!!
どうせ一日ゴロゴロするなら中途半端にゴロゴロしないで最初から『ゴロゴロする!』って決めて思う存分ゴロゴロすればよかった〜(T . T)
悔しい。悔しすぎる。
まぁでも、過ぎちゃったものは仕方ない。
あと残り数時間をのんびり過ごすことにしよう。
というわけで、夜ご飯も限りなく楽にできるメニューにさせていただいて、ちょっとのんびり。
↑↑↑
がっつり休む!と決めたのでここで気が済んだらしく、急にやる気が出て食後はお仕事関係のメールやら何やら一気に片付けることができました。
そうそう、やる気になれば早いのよ。
あー、それにしても不覚だった。
やっぱりさ、休む時もさ、ちゃんと本気で休まなきゃもったいないよな〜。
よし!次回からは本気でゴロゴロするぞ〜!!!
(やる気があるのかないのかよく分からない決意^^)
私たちの脳には膨大な情報の中から『自分が注目したい情報だけに集中して情報を受け取る』という便利な機能が備わっています。
この機能、レコーダーなどで何かしらの『音』を録音したことのある方なら一度は実感したことがあるはず。
録音した音を後から聞いてみると、エアコンの音とか椅子を動かす音、紙をめくる音など、録音していた最中には気がつかなかった音がたくさん入っている。
実際の場面にはそれだけ多くの音(情報)がその場には溢れていたんですね。
だけど私たちの脳は、その中の「会話」や「歌声」など、自分が必要としたものだけを取り出して聞いている。
これ、すごい機能です。
もし、機械に、実際に溢れている音の中から自分の聞きたい会話だけを抽出させようと思ったら大変な技術を必要としますよね?
私たちの脳ってすごいんです。
そしてこの機能は、「音」に限ったことではなく、視覚や物事を認知するいろんな場面でも常に働いて居ます。
先日のトークライブでもお話ししたのですが、例えば、同じ道を歩いていても歩く人によって印象に残るものが違う。
植物に興味がある人はその道に生えている木や咲いている花を覚えているし、車に興味がある人は途中に止まっていた車の車種を覚えている。動物に興味がある人は車の中に乗っていたわんちゃんのことを覚えている、などなど。
私たちの周りに溢れている膨大な量の情報量。(ホンッッッッッッッットにものすごい膨大な量の情報)
それを全て取り込んでしまうと脳内の情報処理機能が大変なことになってしまうので、私たちは「自分が必要と決めた」(←ここ重要)情報だけを膨大な情報の中から抽出してキャッチしてるんですね。
だけど、これ、普段あまりにも無意識に行なっているので、私たちは『自分で決めて選んでいる』っていう自覚がないんですね。
でもね、必ずみなさん確実に『自分で決めたもの』を自然に『選んでいます』
例えばある日、「あ、リュックが欲しいな」と思ったりする。(この時点でリュックにフォーカスするという指令が出ます。)
そうすると急に道ゆく人が持っているリュックが目に入る。いろんなお店でリュックに目がいくようになる。
こんな経験ってありませんか???
↑
これがまさに『自分で決めたものを選んでいる』状態。
ってことはですよ?奥さん!!!(誰?)
自分で『毎日楽しいことがたくさんあるわ♪』と思っている人の脳は自然と『楽しい気分になれるものを探し出す』
自分で『毎日不快なことばっかり起きる』って思っている人の脳は自然と『不快な出来事ばかり探し出す』んですね。
あらいやだ。
起こっている出来事が同じでも、脳が『何を』抽出するかによって全く違う出来事に感じられてしまうんですね。
そう、その人それぞれの『脳の設定』によって同じ出来事の中から抽出される情報が違うんです。
つまり
『人の数だけ違う現実がある』
ということです。
よくポジティブシンキングなんて言ったりしますけど、つまりはこういう脳の仕組みがあるんですね。
性格の問題じゃないんです。
単純に脳の機能がちゃんと働いているだけ。
この機能が普段は自動で働いているので、『そうか!自動で働いてたのか!!!自分で決めたものを選んでたのか!!!』と気づき、その選ぶものを『意図的に決めて』いくことで脳が抽出するものを変えることができます。
この機能をうまく活用しているのが心理学。
自分の脳がどんなものを抽出するように設定されているのかを探って、どの情報にフォーカスしていくのかを決めていくことで自分の目の前で起こっている出来事が違って感じられるようになります。
『楽しいこと』にフォーカスをする
→目の前で起こっている出来事の『楽しい部分』を抽出して感じられる
→自分がそのことに対して起こす次の行動が『前向きな』行動になる
→するとその後には『前向きな行動をした結果の出来事が起こる』
『不快なことに』フォーカスをする
→目の前で起こっている出来事の『不快な部分』を抽出して感じられる
→自分がそのことに対して起こす次の行動が『後ろ向きな』行動になる
→するとその後には『後ろ向きの行動をした結果の出来事が起こる』
だから
『日々を楽しい』と思っている人には『楽しい出来事』が起こり続け
『日々を不快だ』と思っている人には『不快な出来事』が起こり続けるのです。
仕組みはとてもシンプル。
面白いですね。
試しに今日は『楽しいこと探し』してみませんか???
いやぁ、あまりにもブログの日にちが空きすぎて、書きたいことが山盛り溜まってしまった^^;
昨日の朝7時前、ゴミ出しに外へ出たらとっても気持ちのいい天気!
『あ〜、この空気の中、存分に歩いたら気持ち良さそうだな…。』
そういえば、いつも仕事の行き帰りに駅までの道を歩きながら『手ぶらでしっかり歩きたい!!!』って思ってたんですよね。
『今なら手ぶらで歩ける♪よし!ウォーキングに出かけよう!!!』
と言うわけで、動きやすい格好に着替えて、ミニバックに鍵とスマホ、少しの小銭だけ入れて腰につけ、いざウォーキングに出発!!!
手ぶらだからバランスを崩さず、しっかりとしたフォームでズンズン歩ける!!!
身体中の筋肉を存分に使って歩く。
気持ちいい〜っっ!!!
20代の頃に骨格矯正のトレーニングに通っていたことがあって、その時に立ち方・座り方・歩き方をみっちり仕込まれたんですよね。
そして数年前までは『健康と音楽』と言う運動のクラスを担当していたので、その頃はレッスン内でがっつり正しいフォームでのウォーキングができていたのだけど、そのクラスを辞めて以来、やっぱり日常の中では荷物持っちゃってるからなかなかそこまで本気でがっつり歩けることって無く。
そうか、私は《ちゃんとしたフォームでしっかり筋肉使って歩く》をしたかったのか!!!
歩き出してみて、改めて自分の『望み』に気がつきました。
たぁのぉしぃいぃぃ〜〜〜〜っっっ!!!
でね、歩きながら思ったんです。
これ、今日『歩きたい!』って思ったタイミングで歩き出したからこんなに楽しいんだよなって。
これをまた『毎日歩くぞ!』とかって決めちゃうと絶対気が重くなってっちゃうんですよね。
特に私の場合、基本的に飽きっぽい性格なので一度決めたことが長続きしない。
だから『毎日歩く!』とか決めちゃうと『続けられない自分』を無意識に責めることが始まってしまい、純粋にその時歩いてること自体を楽しめなくなっちゃう。
歩きながら『なんで自分は物事が長続きしないんだろう』って、うじうじ考え出しちゃう。
→歩くのが楽しくなくなる→歩きたくなくなる→続かない→また自分を責める。
魔のループに突入です。
そうか!だから逆に物事が長続きしなかったのか!!!
なんか過去の自分のことがよくわかった。
と言うわけで、この日決めたこと。
『歩くのは今日だけ!別に続けない!』
そしたらね、もう歩いてる間楽しくって楽しくってたまらないわけですよ。
うん。『続けない』って大事。
そして今日。
家族を送り出すため&お弁当作りで5時起きだったのだけど昨日は寝るのが遅かったのですっかり二度寝する気満々。
でも6時過ぎに娘を送り出して玄関から外の空気に触れた途端、なんだかウズウズ。
歩いちゃおっかな〜♪
今日は家での仕事だし、スケジュールは自由に組めるので二度寝は帰ってきてからすることにして、いざ出発!!!
昨日とは全く違うルートをズンズン歩きます。
たぁのぉしぃいぃぃぃぃ〜〜〜〜〜っっっ!!!
そう、『続けない』って決めてるからこそ、純粋にその日の気分で決められるんですよね。
そして純粋にその日の気分で決めるから、心底楽しいの。
面白いなぁ〜
昨日今日と『たまたま』2日間続けて歩いたけど、このまま2度と歩かないかもしれない。
それで良いのです。
だって『続けるために』歩いてるんじゃなくて『その日歩きたかったから』歩いただけだから。
そしてまた『歩きたい』と思うことがあれば歩けば良い。
今までどれだけ『続けなくちゃいけない』『続ける方が偉い』って言う概念に縛られてたんだろう、私。
その概念を元にどれだけ自分にダメ出ししていたんだろう。
『続けることが素晴らしい』こともももちろんある。
でも、だからと言って『続けなくちゃいけない』わけではない。
『続けてもいい』『続けなくてもいい』
好きな方を選べば良い。ただそれだけのことだ。
『続かない自分がダメ』なんじゃなくて『続けることこそが偉いと言う概念を元に無駄に自分にダメ出しをしていたこと』こそが無駄だったんだよな。
またひとつ思い込みが外れた。
いやぁ〜、楽しい。
昨晩、うっかり目覚ましをかけずに寝ちゃってたのですが、ふと目が覚めたら6時。
をを!!!
普段も5〜6時に起床しているので、体内時計ってすごいなぁ〜なんて感心して、なんだか嬉しくなっちゃったのでそのままウォーキングに出かけることに。
『続けない』と決めたウォーキング。(詳しくは→こちら)
なんだかんだで今日で4回目^^
初日は20分ほど歩いて休憩スペース付きのファミリーマートでコーヒーを一杯飲んで帰ってきました。
2回目はお隣の駅まで歩いて行って、駅前のドトールで一息。
3回目は池のある公園まで歩いて行ってのんびりカモを眺めて帰ってきて
4回目の今日は隣の駅まで歩いたところでなんだか物足りなくてその先の神社まで足を伸ばし、帰りに隣駅のスタバで朝ごはん食べて帰ってきました♪
あはは、楽しい^^♪
その日その日の気分で行きたい方向に向かって歩き出して、その時の気分でコンビニに寄ったりカフェに寄ったりどこにも寄らなかったり。
毎回が『単発』なので本当にその時の気分の流れに身を任せて歩く。
そして気が乗らない日は歩かない。
『歩きたいっっ♪』と思った日だけ歩く。
いやぁ〜、『続けない』と決めたことでこんなにも楽しめるなんて。
ホント、人の気持ちって面白い。
『マイブーム』という言葉はみうらじゅんさんが作られたらしいのですが…。
まさに今、ウォーキングがマイブームでございます。
今朝もとっても気持ちのいい青空!!!
7時過ぎから歩き出しました。
今日はレッスンが入っていないので時間を気にせず1時間ほど存分に歩いて着いた先のスタバで休憩。
帰りはちょっと近道、再び30分ほど歩いて帰ってきました。
いやぁ、楽しいっっ!!!
気持ちいいっっ!!!
そうなんですよ。
マイブーム。
私は熱しやすく冷めやすい。
すぐ夢中になってすぐ飽きる。
ONとOFFが激しい。
ゼロか100しかない。
ロケットエンジンみたいに瞬発力はあるけど持久力はないんです。
だからね、自分の中でブームになっている間はいいのだけど一度下火になると、もうどうにも動かない。
その代わり、うまく着火点さえ見つけてあげられればめちゃくちゃ動きます^^
前はこんな自分の性格は『ダメだなぁ』って思ってたんですよね。
やっぱりコツコツ続けられる人に憧れるからさ。
だけど、今回、そもそも続けなくていいっていうことにしてみたらさ、ホント、楽しいんですよ。
そしたらさ、あれ?そもそも、なんで『続けなきゃいけない』って思ってたんだろう???って。
そんな朝歩こうが歩かなかろうが、なんか問題あるのか???
毎日歩くか歩かないかなんてそんなの大した問題じゃないじゃんね???って。
歩きたいなら歩けば良いし、歩きたくないなら歩かなければいいじゃんねって。
それ以上でもそれ以下でもないんだよなぁ〜。
大体、コツコツ続けられるタイプではないけど、夢中になったらものすごい勢いで走り出すし、その時の瞬発力たるや結構なもんなんですのよ。
片付けだって一度やるって決めたら寝ないでやり続けるしな。
ホームページ作るときも夢中になってそればっかりやってたしな。
一度『やる!』と決めたら強いのです。
その代わり『毎日コツコツ』とか『同じことの繰り返し』にはめっぽう弱い。
そうなのだ。私は『コツコツ型』ではなく『マイブーム型』
短期集中決戦タイプ。
ただそれだけのことなのだ!!!
思えば今までの人生だってマイブームの連続。
そのときやりたい!と思ったことを次から次へとただただ全力でやってきたので数年単位で生活が結構変化する。
数年前には全くやってなくて今やってること、数年前はあんなにやってたのに今は全くやってないこと。←そんなことだらけです。
変化し続けての今だもんなぁ〜
コツコツと一つのことをやり続ける職人さんみたいな人にはめちゃくちゃ憧れるし、すごく尊敬する。
でもそれは私の姿じゃないんだよなぁ。
私は『マイブーム』型なのだ。
諦めよう。
そしてそんな私の『マイブーム型』を存分に活かせる方法を考えればそれで良いのだな。
責めて矯正するところじゃない。活かすところなのだ。
そうそう、『〇〇とハサミは使い様』ってね。
昔の人はうまいこと言ったもんです^^
昨日面白いことに気がついた。
ちょっと時間があったのでウィンドウショッピングに♪
最初に見に行ったお店にすごく可愛いワンピースを発見!
これ、ライブの衣装にいいなぁ〜♪
ところがそれは春の注文予約用のサンプル。
実際に商品が届く日がライブに間に合わない可能性あり。
残念!!!
じゃあせっかくだから衣装に使えるワンピース、見て回ろう!!!
そうして何軒かフラフラ見て廻ってるうちに、ふと、なぜだか『いや〜な気分』になってることに気がついて。
あれ?って。
なんで楽しいはずのショッピングで嫌な気分になってるんだ???
最初、見て回り出した時は楽しかったよな???
むむ???
こういう時は自己分析。
自分の心の中のチビあーよ♪に聞いてみる。
なんで嫌な気分になってるんだーい???
『えー、だってなかなか気に入ったの見つからないし。
さっきちょっといいな〜って思ったのあったのにいまいち色が気に入らなかったし。』
あら、まさかの不満???
『だいたいさぁ、こうやって見てまわって買ったのにあまり使えてないモノあるよね???
あれさ、もっとちゃんと使えばいいんじゃないの???』
あら、そしてまさかの自分責め???
驚いた〜。
これじゃぁ嫌な気分になるわ(笑)
っていうか、私、たまにショッピングしながらこの気分に突入してることがあったことを発見!
あれれれ???
そんな嫌な気分になるならやめればいいのに。お店見て回るの。
『だって、いろいろ見るの好きなんだもん!』
好きなのに嫌な気分って(笑)
残念!残念すぎる(笑)
さて、どうしよう???
いろいろ見て回るの好きなんだから、ただ見て回ればいいんじゃないのかい???
ただそれだけを楽しめばいいんじゃないかい???
なんかそれに色々くっついてるよな。
・いいワンピース見つけなきゃ
とか
・本当に買うのか?本当に買って十分に使うのか???
とか
変な義務感と変な未来への心配。
この二つ、いらないんじゃないの???
そーだ、これだ。
これがくっついてるから楽しくないんだ!
なるほど。
といわけでこの二つをやめてみることに。
「いいワンピース見つからなくても良いじゃん。」
「無かったら無かったでよし。」
「もし本当にすごーく気に入ったのに出会ったら買えばよし。出会わなければ買わない、ただそれだけ」
「目的決めずに、ただただどんなのがあるのかな〜???って見て回ることだけを楽しめば良い」
あ!フィールドワークか!!!(←『僕らは奇跡で出来ている』見てた人には通じる?^^)
ただただ見て回ることだけを楽しむ。
そうだ!それだけすればいいんじゃんね???
あはは、面白い。
ちゃんと楽しくなってきた♪
いっつもボイストレーニングのレッスンで言ってるのにな、私。
何かをしようとしないで今の感覚をただ感じ続ける!って。
結果を先に決めない!って。
実験だと思って声を出せって。
未来を予想せずにただ今出ている音を感じるって。
あー面白い。
ショッピングの時は全く違うモードになってた(笑)
っていうかショッピング一つにどんだけ気合入ってたんだ?私。
笑える。
何でもおんなじだな。
ウォーキングも『続けなきゃ』という変な義務感と
『続くのか?』という未来への心配
この二つをやめたから楽しいんだな。
これ、すごい発見!!!
他にもこういうこと、たくさんあるのかも!!!
これ、当てはめて考えて見よーっと♪
なんとなんとなんと!!!
私の20年来の夢が、今年、叶うことになりました〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!
昨日決定したのですよ〜!!!!!
もうめちゃくちゃ嬉しいっっ!!!
まだ内容はお話しできないのですが。
うーーーーーーーーーーっっっ!早く話したいっっ!!!
もうね、ほんと、めちゃくちゃ嬉しい♪♪♪
あのね、やっぱりね、夢は叶うんです!!!
イメージできるものは叶うんです!!!
20年前の自分に教えてあげたい。
自分の夢、大事にしてあげてくださいねっっ!!!
あれっっ?
ってことはあれとあれとあれと…
まだまだある夢、全部叶っちゃうってことか!?
やばい、楽しすぎるっっ!
楽しい予感のする方へ
心が夢中になる方へ♪
(by SUPER BEVER『予感』)
↑今回のライブ(→詳しくはこちら)のフライヤー。
昨日無事に印刷が上がってきましたー!!!ヽ(´▽`)/
コレ、なかなかの出来じゃないですか???(自画自賛)
いやぁ、楽しい♪^^
私、元々は超アナログ人間、手書き大好きっ子だったので、昔はライブのフライヤーはほとんど手書きで作成してました。
それはそれで味があって割と気に入ってはいたのですがWonder Rainbow Factoryを結成したタイミングはちょうどホームページを作ったりし始めてだいぶPCにも慣れてきていたので試しにフライヤー作りもチャレンジして見たんですよね。
そしたら、あら!とっても面白い!!!
そんなわけでホームページやらフライヤー作成などはすっかり工場長の私が担当させてもらってるのですが。
今回、改めてWonder Rainbow FactoryのホームページのLIVE情報ページ(→こちら)に並んだ歴代のフライヤーデザインを見比べてみたら、だんだんと自分の技術が進歩しているのが実感できてすごく面白かった〜♪
1回目の時はとりあえずとにかく形にするのが精一杯。
当時は当時なりに「会心の出来!!!」って思ったんだけど、今から見たら大分直したいところたくさん(笑)
まぁ、そんなもんよね。
2回、3回と回を重ねるごとに以前は知らなかった機能に気が付いたり、様々なアイデアも湧くようになって確実に進歩してる私。(よかったら見比べてね→こちら)
それにしても、まさか自分が苦手なPC使ってホームページ作ったりフライヤー作ったり動画編集するようになるなんて、全く想像してなかったわ〜。
しかもそれがこんなに楽しいだなんて!!!
あとね、先日のゴスペルライブ『SEASONS 2019』(→こちら)でも、ライブを運営していく都合上、いろんな書類をたくさんたくさんデータでやり取りしなくてはいけなくて、以前は手書きだった書類も今回は随分PCで作りました。
もともとお仕事とかでPCを使ってらっしゃる方からしたらなんてことのない表の作成だけでも大騒ぎ。
でもおかげでずいぶんいろんなことができるようになりました!
これも4〜5年前には全く想像できなかった自分の姿。
ものすごいバージョンアップっぷりです。
本当に自分の好きなことをやり始めると、それに付随しているいろんな苦手なこと、どんどん、できるようになるんですねぇ〜。
うーん、人生って面白い。
Wonder Rainbow Factory 3rd LIVE決定!!!
詳細は→こちら
前回のブログ(→こちら)で、『空から降ってきてるみたい』なんて話を書いてたら、またまた降ってきました!!!
ただ、今回は歌や曲ではなく、『人生の仕組み?夢を叶える仕組み???』みたいな話。
ふふふ、なんかSFみたいな不思議な話です^^
でもこれ、かなり的を得てる説だとは思うのですが、いきなり書いてもわけがわからなかったり怪しい話に感じる人もいるだろうな〜って思って、書くのどうしようかな〜なんても迷ったのですが、何人かの友人に話をしたら「めちゃくちゃわかりやすい!!!」と喜んでもらったのでせっかくなのでここでシェアしてみようかと。
なんとかわかりやすく書けないかと事前説明など入れたりと試行錯誤していたのですが、なんかどうやっても回りくどい書き方になっちゃうので、ひとまず降ってきた?ひらめいた?そのままを書いてみようと思います。
予備知識として『引き寄せの法則』とか『パラレルワールド』などの概念をご存知の方だとめちゃくちゃ腑に落ちる内容だと思うのですが、その二つを初めて聞いた方だと「ナンノコッチャ???」ってなるかもしれないのでそういう方はスルーしてくださいね。
あ、そして初めにお断りしておきますが、これは私が勝手に思いついた?ひらめいた?降って来た?だけで、あくまでも「私の感覚ではこの考え方するとわかりやすい!!!」と思っただけであって、絶対的な証拠があるわけでも、どなたかに考え方を押し付けようとするものでもありません。
なので、私は違うと思う〜!!!という方もスルーしてくださいね!
もし読んでみて『面白い!!!』『わかりやすい!!!』と思った方は良かったら参考に^^
で、いよいよその内容はここから↓↓↓
よく、『思考は現実化する』とか『引き寄せの法則』と呼ばれる考え方で「ワクワクした楽しい状態でいるとワクワクした楽しい未来がやってくる」というような話を聞きます。
以前にもこのブログでも書いたことがあるのですが(→『それぞれの現実』)脳の仕組みから考えても、この理論、あながち間違っていない、というよりはかなり核心をついてるんじゃないかな、と私は思っています。
で、今まで私は【今、ご機嫌でワクワクすることを選択することで望む未来を引き寄せる】と解釈していたのですが、そうではなくて【すでに存在している様々な未来の中で、望む未来に最短距離でいけるヒントが「今ワクワクすることを選択すること」】なんだな、と思ったのが今回の発見?ひらめき?降ってきた?内容。
まず。
この『すでに存在している様々な未来』というのがそもそもの『パラレルワールド』という概念なのですが
簡単にいうと、
今、この瞬間に、いろんな選択の結果の未来や過去の全ての「瞬間」が同時に存在していて、その一つ一つの「瞬間」は蜂の巣みたいに隣同士の部屋みたいになって全部繋がっているという考え方です。
で、例えば、「今日どんな服を着るか」を選ぶ時に、
*一番ワクワクする服を選ぶという『選択1』と
*二番目にワクワクする服を選ぶという『選択2』と
*全くワクワクしない服を選ぶという『選択3』がある場合
そのパラレルワールドの蜂の巣の中で『今の部屋』のすぐ隣(周り)にその
『選択1の部屋』と
『選択2の部屋』と
『選択3の部屋』があるわけです。
で、どの部屋を通ったとしても全ての部屋は繋がっているので、結果的には「夢が叶っている(望む)未来の部屋」に行けるんだけど、その中でも
『選択1の部屋』が『望む未来の部屋』までの一番の最短ルート上にあって、
次に短いルート上にあるのが『選択2の部屋』で、最も遠回りのルート上にあるのが『選択3の部屋』。
私たちの感覚では「今から着る服を選ぶ」なんだけど、実はそれは『その服を着ている部屋(瞬間)』を選んでいるだけ。
ワクワクするモノや出来事を頼りに、もうすでに存在している未来の中からこれから進む先の『部屋(瞬間)』を選んでいるだけ。
未来を「創り出している」のではなくて、ひたすら「選択している」だけ。
さらに、もともと存在しているパラレルワールドの種類は最初からその人ごとに全く別々のものが用意されている?ので、人それぞれ「ワクワクする未来」として想像するものが違う。
私たちそれぞれが夢を見る未来は自分のパラレルワールドの中にあるものだけ。
例えば
Aさんのパラレルワールドには『絵描きになる』という未来の部屋が存在していて、
Bさんのパラレルワールドには『雪山に登る』という未来の部屋が存在していて
Cさんのパラレルワールドには『カフェを経営する』という未来の部屋が存在していたとします。
そうするとAさんは『雪山に登りたい』とか『カフェをやりたい』とかの夢は抱かないけど『絵描きになりたい!』という夢をみたりする、
Bさんは『絵を描きたい!』とか『カフェをやりたい!』という夢は抱かないけど『いつか雪山に登ってみたい』という夢を持つ。
Cさんは『絵を描きたい!』『雪山に登りたい!』という夢は抱かないけど『カフェをやってみたい』という夢を抱く。
私が『絵描きになりたい!』『雪山に登りたい!』『カフェをやりたい!』という夢を抱かないのは私のパラレルワールドの中にはその未来の部屋が無いから。
でも『〇〇でライブをやりたい!』という夢を抱くのは私のパラレルワールドの中にその未来の部屋が存在しているから。
つまり、『自分が夢を抱く未来』は『自分のパラレルワールド内に存在している未来(部屋/瞬間)』ということ。
だから、必ず行ける。
そして、その未来の夢(部屋)を強くイメージすることで、その未来の部屋まで行くのにより近い道筋(ルート上)にある部屋が『ワクワク』して光りだす。
『ワクワク』や『トキメキ』が、どの選択(ルート)が一番望む未来の部屋に近いかのナビゲーターになるんですね。
だから、一見、自分の夢とは全く関係ないことに思える『今日何を着るか』とか『今何を食べたい、飲みたいか』とか『今この瞬間に何をしたいか』というような「目の前の小さなことを自分のワクワクに従って選択し続けること」がより早い夢の実現への近道になる。
日々の暮らしは選択の瞬間の連続なので、だからこそ、より細かく、既成概念にとらわれずに大胆に一番ワクワクすることを選択している人は実現が早い。
でもゆっくりでも一つ一つ丁寧にワクワクするものを選択していけば確実に望む未来に近づいて行く。
↑↑↑ここまで
未来を新たに「創造」しているのではなく、もともと存在している未来の中から好きなものを「選択」し続けている。
というところと
実は選んでいるのはモノや事柄ではなく「瞬間(部屋)」だということ。
選んでいるモノや事柄は全てその進む先にある部屋の目印でしかない、ということ。
この2点がこの理論?のポイントです。
今→未来に向かっているのではなく
なりたい未来→今に「迎えに来ている」。
よく、ノートとかに夢を書き出すといい、とかいうのはナビの行き先を明確にセットするための作業。
だから、一度書いたこと(決めた夢)を心配になって何度も「できるかな?大丈夫なのかな?」と心配している暇があったら、そんなことよりも、今目の前でワクワクと光っているモノ(部屋)を探して選択し続けた方がよっぽど望んでいる未来に早くたどり着くってことなんだな、と。
以上です!!!
うふふ、面白く無いですか?この考え方。
でね、私、この考え方でめちゃくちゃいろんなことが腑に落ちてしまったのですよ!!!
子供の頃からのいろんな疑問が一気に解決したんです!!!
なのでね、当面はこの考え方に沿って自分自身、進んで行ってみようかと^^
はてさてどうなるのか!!!
楽しみっっ♪^^
前回のブログで(→こちら)『子供の頃からのいろんな疑問が』なんて書いたので、子供の頃からの疑問って例えばどんなこと???と質問いただきまして^^
というわけで今日は子供の頃の謎について。
みなさん、小学生の頃とかっていろんなこと、不思議に思って考えたりしませんでしたか???
私はちょうど子供の頃にいつも考えていた3大謎みたいなものがありまして。
一つ目は以前にこちらのブログでも書いた「私も超能力使えるんじゃないかしら問題」(笑)
あ、今、笑いましたか???
いやいや、真剣だったんですよ、小学生時代のあーよ♪さんは^^
その件については以前のブログ(→こちら)に書いてあるので良かったら読んでみてくださいね!
というわけで『超能力問題』に関してはこの時に私なりに結論が出たんですよね。
そしてその後はその結論の実証に入っていったわけです^^
(その件については→こちら)
そして二つ目。
ズバリ、『タイムマシーンは本当にあるのかないのか問題』
これねぇ、結構考えてたんですよ、当時。
いろんな映画やアニメなどで普通に登場するじゃないですか、タイムマシーンって。
でも「実際にタイムマシーンに乗りました」っていう人って見たことないんですよね。
で、これって本当にあるのかしら???ってずっと考えてたんですよ。子供の頃。
「本当にあるならなんで誰も見たことないのか」
「もし実際には存在しないんだとしたら、そもそもそんなものがあるっていう想像がなぜできたのか」
「実在して、それに遭遇した人がいたからこそこの考え方が広がったんじゃないのか」
「タイムマシン自体ができるのはずっと未来だとしても、それに乗って過去に行けるんだから、そうしたら今の時点でも既に誰かが目撃してるはずなんだよなぁ〜」
↑
真剣でしょ?小学生のあーよ♪ちゃん^^
そして中学一年生のある日、なんと、自分の中で謎が解けたのです!!!
長くなっちゃうので続きはまた次回♪(いや、前回のブログ、相当長かったけど(笑))