音楽と料理

最近、よく思うこと。

 

「音楽と料理ってよく似てる」

 

音楽にもプロの音楽家もいるし、プロとしてではなく趣味の音楽家がいますよね?

料理にもプロの料理人もいれば、趣味や家庭での料理人(家族のご飯作る人)がいますよね?

 

でね、やっぱり外でお金出して食事を食べるときはそれなりのクオリティーを求めるじゃないですか。

美味しさはもちろん、いつ行っても一定の質?をきちんと保ってくれていることとかも含めて。

 

だけど、じゃあ、家で食べる「お母さん」や「お父さん」のご飯に価値がないかっていうとそんなことないんですよね。

 

プロみたいなレベルじゃないかもしれないけど(たまにプロみたいな方もいらっしゃいますが^^;)

野菜とか素材の形がバラバラかもしれないけど、

日によって出来上がりにムラがあるかもしれないけど、

だからと言ってその料理に価値が無いわけじゃない。

家族や大好きな人のことを思いながら作ってくれた愛情いっぱいの料理には、外食とはまた違った美味しさ、価値がありますよね???

 

 

音楽も同じだと思うんです。

 

プロではなく、趣味で音楽をされている方の中には、発表会などでステージに立つ時についつい

『あまり上手じゃなくて申し訳ない』

というような気分で立たれる方、よくいらっしゃるんですが、それね、

 

その『申し訳ない』という気分で演奏することの方がよっぽど『申し訳ない』!!!!!!!

 

 

お家でお料理出された時に『プロじゃなくてゴメンなさい』みたいな気持ちで作って出されて嬉しいですか?

 

私だったら、たとえプロみたいなクオリティーじゃなくても、『口に合うかはわからないけれど、私なりに美味しいと思うものを愛情いっぱいで作ったからよかったら食べてね♪』って出して欲しいなぁ〜

 

 

まだまだ練習中でできないこともあるかもしれない。

緊張して間違っちゃうこともあるかもしれない。

プロみたいに上手に演奏できないかもしれない。

だけど、『愛情』はかけてあげられますよね???

 

『耳に合うかはわからないけど、私なりに愛情いっぱいで演奏するから良かったら聴いてね♪』

 

これ、すごく大事な感覚だと思っていて。

 

っていうか、これ、プロでも大事ですよね???

どんなに上手な料理でもそこに『愛』がなければきっと美味しくないもんなぁ〜

 

音楽だって同じよね。

 

そう

『口に合うか合わないか』

『耳に合うか合わないか』

こればっかりはね、それぞれの好みがあるからしょうがないんです。

 

でも

『申し訳ない』

 

という気持ちを

 

『愛情いっぱいかけるから良かったら食べてね(聴いてね)』

 

には変えることできますよね?

 

そしてそんな自分が愛情かけて出したものを相手がもし食べて(聴いて)くれたら、本当に心底嬉しい♪

 

そしたら湧いてくる気持ちは『食べてくれて(聴いてくれて)ありがとう!!!』になる。

 

 

もし『申し訳ない』という気持ちで提供したら『こんなの食べさせて(聴かせて)ごめんね』って気持ちになりませんか???

 

せっかくなら『ごめんね』じゃなくて『ありがとう!』でステージを降りてみるってどうかしら?

 

こんなこと、思いながら日々レッスンしてます^^

 

 

 

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